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2008年05月 Archive

2008年05月01日

CASCADES 70

BRIAN ENO
HAROLD BUDD/JARAAJI
AMBIENT
MUSIC FOR FILMS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 70

"AMBIENT アンビエント・ミュージック"
’78年にEGからリリースされたブライアン・イーノのアンビエント・シリーズの1枚目「Music For Airports」のライナーでイーノは、"特に環境におけるバックグラウンド機能として設計された音楽の概念はミューザックincによって開拓され、50年代以来、ミューザックという用語によって一般的に知られるようになっています。そのミューザックの内包した表現をアンビエント・ミュージックに関連づけたもの。聞き覚えのある曲は、独創性のない軽い管弦楽に編曲され、それはエンヴァイロメンタル・ミュージックに注意をうながすために意識したもの。
BRIAN ENO/AMBIENT 1 Music For Airports(EG AMB 001)
過去3年間、環境としての音楽に関心を持ち、こうした方法と領域での自身の実験音楽と使用できる素材を探してきた。私はアンビエント・ミュージックという用語を使い始めよう。アンビエンスとは雰囲気と定義され、または周囲/環境からの影響:色あい、ほのかな色。私の意図は様々なムードと雰囲気に添った環境音楽のオリジナルの断片をプロデュースすることである。従来のバックグラウンド・ミュージックは、音楽から不確実性と疑わしい状態の感覚を剥ぐことによって制作されるが、アンビエント・ミュージックはこれらの特質を保持/保有する。彼らの意図はそれに刺激を加えることによって環境を輝かせることだが、アンビエント・ミュージックは、人工的に静穏と空間を引き起こす。アンビエント・ミュージックは、意識を集中させて傾聴することと同時に、その音楽を無視することが可能だ"とアンビエント・ミュージックを定義していた。アンビエント・ミュージックは往々にしてスピリチュアルなヒーリング・ミュージック、精神世界を意味するニューエイジでカテゴライズされるが、それは間違っている。エリック・サティの印象主義ともいえる"家具音楽(Musique d'ameublement)"に端を発する、テリーライリーのミュジーク・コンクレート、フィリップ・グラスのミニマリズムの流れに加え、イーノ自ら認めているマイルス・デイビスと、彼のアルバム“Bitches Brew” や“In a Silent Way”などのプロデューサーで、つい先日逝去したジャズ・サキソニストのテオ・マセロ(ロックファンにはラウンジ・リザーズのファーストアルバムのプロデュースで知られた)のムード(モード)ジャズの影響下にあるもので、70年代後半にブライアン・イーノが提唱したアンビエントという新たな文脈にある音楽だ。
「Music For Airport」は、空港という場が持つその環境下の機能を考慮し作曲され、この音楽は実際にニューヨークのラガーディア空港で使用されていたことがある。文字通り"空港のための音楽"である。ミニマル・ミュージックの手法による4曲のインストゥルメンタルで、曲名には単に記号としての番号がふられているだけで、"1/1"はピアノとシンセサイザー主体、"1/2"は肉声のみで演奏されるミュジーク・コンクレートを思わせる曲であり、"2/1"は肉声とピアノ、"2/2"はシンセサイザーのみで演奏されている。
以下はイーノ自身による解説だ。●このアルバムは1つの目的の最小公倍数で成り立っている。私はここで面白い音楽を作り出そうとは思わなかった。純粋に、空港で流れるようなものを作りたかったのだ。そして私の音楽によって非行は耐え難い、不愉快なものではなく楽しいことだと思ってもらいたい、というのは私が常に飛行機での旅行を好まないからだ。●アルバムの中の1曲では非常に長いテープループ、50、60、70フィート相当のものをいくつも使用している。その数は全部で22。あるループにはピアノ音だけが入っている。あるいはループには女性の声、10秒ほどの長さのものが入っている。女性の声のループが8本、ピアノ音のループが14本、私はこれだけを使用した。そして構成は意図せずループの動くままにまかせた。結果は最高だった。●この曲はみんなが想像するようにメカニカル、あるいは数学的には実際、聞こえない。一人の男が緊張してピアノを弾いているように聞こえる。空間的広がり、ダイナミックさを感じさせる彼の演奏は非常に組織的だ。●この曲が出来上がり、私が聞き返したとき、ただ1つ、気に入らないピアノ音があった。間違った場所に入り込んだようなその音を私は編集の際に取り除いた。システムは常に正しい。システム・コンポーザーはそれゆえにこのようなことに出会う。システムを変更させることはむやみには出来ない。システムは自分がそう判断する限り正しいものだ。もし何かの理由でシステムが気に入らないとしたら、そのときは自分の直感を信じるべきだ。私はシステムに対し、教義的アプローチは望まない。

BRIAN ENO/AMBIENT 1 Music For Airports(EG AMB 001)
エンジニアのRhett Davisは、イーノの'73年「Taking Tiger Mountain」、'75年「another Green World」、'77年「Before And After Science」からアンビエントまですべてのレコードに関わっていたといっていいほど。このアルバムではコニー・プランクの名前もクレジットされ、エンジニアを最も重要視していたことがうかがえる。
A:1/1(Eno/wyatt/Davies) 2/1 (Eno)
B:1/2 (Eno) 2/2 (Eno)
all compositions by Brian Eno except 1/1 which was co-composed with Robert Wyatt (who also played acoustic piano on this track) and Rhett Davies. the voices on 2/1 and 1/2 are those of Christa Fast. Christine Gomez and Inge Zeininger. engineering was by David Hutchins(2/1,1/2). Conny Plank(2/2),Rhett Davies(1/1) and Brian Eno. concept,design and production by Brian Eno.
EG RECORDS 1978

HAROLD BUDD+BRIAN ENO/AMBIENT 2 The Plateaux Of Mirror(EG EGAMB 002)
ハロルド・バッドの作曲とピアノ演奏をイーノが編曲したコラボレーション。閑静な住宅街のどこかの開け放たれた窓から流れてくるピアノレッスンのような、たおやかでメランコリックで静謐なサウンドスケープである。
A:1.First Light 2.Steal Away(Harold Budd and Eugene Bowen) 3.The Plateaux Of Mirror 4.Abobe Chiangmai 5.An Arc Of Doves
B:1.Not Yet Remembered 2.The Chill Air 3.Among Fields Of Crystal 4.Wind In Lonely Fences 5.Falling Light
all songs Harola Budd and Brian Eno
Harold Budd(acoustic and electric piano) Brian Eno(other instruments and treatments)
special thanks for their help and co-operation to Bob and Danny Lanois at Grant Avenue Studio,Ontario, to Eugene Bowen at the Old Rugged Cross and to Roddy Hui.
produced by Brian Eno.
EG RECORDS 1980

JARAAJI/AMBIENT 3 Day Of Radiance(EG EGAMB 003)
ララージ(Laraaji、本名エドワード・ゴードン)の作曲したものに、ハンマーダルシマー・ツィンバロムとチター演奏をイーノがエレクトロニック処理したアルバム。
A:1.The Dance #1 2.The Dance #2 3.The Dance #3
B:1.Meditation #1 2.Meditation #2
all compositions by Laraaji
special thanks to Roddy Hui.
produced by Brian Eno.
EG RECORDS 1980

BRIAN ENO/AMBIENT 4 On Land(EG EGED 20)
アンビエント・シリーズでのイーノのソロ2作目。"Shadow"でのジョン・ハッセルのトランペット・ヴォーカルとイーノのシンセサイザーの絡みは先にジョン・ハッセルとの共作として発表されたFourth Worldとは違いどこまでも緩やかなうねりが延々と続く。加速して変化していく当時の時代の速度を制御するかのようなスローモーション・サウンドは、このアルバム全体を通してのイーノの意図でもある。いまでは大画面TVの普及で珍しくもないが、アンビエント・スピーカー・システムとして、3台のスピーカーに囲まれたサラウンド・システムで聴くことを促している。
A:1.Lizard Point(Eno/Beinhorn/Gods/Laswell) 2.The Lost Day 3.Tal Coat 4.Shadow
B:1.Lantern Marsh 2.Unfamiliar Wind(Leeks Hills) 3.A Clearing 4.Dunwich Beach,Autumn.
all compotitions by Brian Eno
musicians:Michael Beinhorn(synthesizer) Axel Gros(guitar) Bill Laswell(bass) JOn Hassell(trumpet) Michael Brook(guitar) Dan Lanois(live equalization)
the frogs on 'Leelas Hills' were recorded in Choloma,Honduras by Felipe Orrego
engineers and studios:Danny Lanois:Grant Avenue Studio,Ontario,Canada/Jon Potoker:Sigma Sound,New York/Julie Last/Charyl Smith:Celestial Sound,New York Neal Teeman:RPM Studio,New York Andy Lydon/Bari Sage:Basing Street,London,England Martin Bisi:OAO Studio,Brooklyn
mastering:Greg Calbi at Sterling Sound,New York
recorded between September 1978 and January 1982
produced by Brian Eno.
EG RECORDS 1982

Brian Eno AMBIENT
http://www.youtube.com/results?search_query=ENO+AMBIENT&search_type=

イーノも言い切っているが、言語学や記号学は理屈っぽく難解過ぎて、そのシステムの教義的なものにボクも興味はないが、言葉、画像、音、匂い、味、動作などは、本来意味を有しているものではなく、それらに意味をまとわせるとき記号となるとソシュールは言っているが、概念と音のパターンの関係である言語的な記号というものから、当時のイーノは距離をとろうとしていたのだとボクは考えている。音楽に言葉の意味など不要なのだ。言葉がはいるとそこには情動的/感情的な物語的風景が生まれる。音響は振動/波形という物理的なものであって、聴き手にとっては感覚の形跡として残るもので、音響の心理的印象により聴き手に与えられる直感/感覚的ものだ。だから音響はそもそも意味を持った言葉ではなくより純粋な記号に近いものだとボクは思っている。アンビエントやミュージック・フォー・フィルムスでイーノがやりたかったことは、なによりもロックや言葉の意味からの逃走だったと思っている。

"MUSIC FOR FILMS"
BRIAN ENO/MUSIC FOR FILMS
(POLYDOR SUPER 2310 623)
75年から78年までに書き上げた18曲の小作品を集大成したかのようなこの作品には、イーノのロック・イディオムへの未練と決別のアンビヴァレンツな感情が聴こえてきて、微かなロックのメランコリックな香りが残されている。彼の音楽の過渡期を意味する最も重要な作品で、メンバーの顔も凄いアーティストがクレジットされていて、個人的には大事にしていたアルバムだ。
side one:1.M386 2.Aragon 3.From The Same Hill 4.Inland Sea 5.Two Rapid Formations 6.Slow Water 7.Sparrowfall(1) 8.Sparrowfall(2) 9.Sparrowfall(3)
side two:1.Quartz 2.Events In Dense Fog 3.'There Is Nobody' 4.A Measured Room 5.Patrolling Wire Borders 6.Task Force 7.Alternative 3 8.Strange Light 9.Final Sunset
all compositions by Brian Eno
track 4 side 2 arr. Jones/Eno. track 8 side 2 arr Frith/Eno
Percy Jones(bass) Phil Colins(percussion) Paul Rudolph(guitar) Bill MacCormic(bass) Dave Mattacks(percussion) Fred Frith(electric guitar) Robert Fripp(electric guitar) John Cale(viola) Rod Melvin(electric piano) Rhett Davis(trumpet)
produced by Brian Eno . assistant producer Rhett Davies
EG RECORDS 1978

BRIAN ENO/MUSIC FOR FILMS VOLUME 2(EGSP 2)
メランコリックでノスタルジアな音楽だ。それほど当時、我々は病んでいたのだろう。ノスタルジアという病について"ロシア人がソ連国内を旅行した時には感じないが、ひとたび外国に旅行すると必ず強く襲いかかる感情で、死に至る病いに近いとさえ言える独特のものだ"とタルコフスキーは言ってたな。80年代中期からの、あの存在の痛みと孤独感が癒えるまでにボクは10年ほどの時間を要した。
side one:1.The Dove 2.Roman Twilight 3.Matta 4.Dawn,Marshland 5.Climate Study 6.The Secret Place 7.An Ending
side two:1.Always Returning I 2.Signals 3.Under Stars 4.Drift Study 5.Approaching Taidu 6.Always Returning II
compotitions:Brian Eno/Daniel Lanois/Roger Eno
produced by Brian Eno and Daniel Lanois
recorded at Grant Avenue Studios,Ontario.
EG RECORDS 1983

"ATOMOSPHERES & SOUNDTRACKS"
BRIAN ENO with Daniel Lanois & Roger Eno/APOLLO
(EGLP 53)
ギタリスト、ダニエル・ラノワとロジャー・イーノとのコラボによるNASAのアポロ計画ドキュメンタリー番組のサントラ。美しい。21世紀のグレゴリオ聖歌だ。
side one:1.Under Stars 2.The Secret Place 3.Matta 4.Signals 5.An Ending(Ascent) 6.Under Stars II 7.Drift
side two:1.Silver Morning 2.Deep Blueday 3.Weightless 4.Always Returning 5.Stars
compotitions Brian Eno/Daniel Lanois/Roger Eno
recorded at Bob & Dan Lanois Studio
poduced by Brian Eno & Dan Lanois
mastered by Greg Calbi at Sterling Sound
EG RECORDS 1983

BRIAN ENO
http://www.youtube.com/results?search_query=BRIAN+ENO&search_type=

※'80年と言えばロックミュージックは完全にその力を失っていた。'80年1月のメロディ・メーカー紙でイーノも"かってはロックミュージックこそが、世界中に共通する力を持つ音楽だと信じていたが、今やもう自分にとってはそうではない"と発言していたし、'79年に1ヶ月のニューヨーク取材(イーノとの2度目のインタヴューなどの)から帰国したぼくのなかでも、すでにロックの幻想は消えつつあり、'79年のロックマガジンの特集「MUSICA VIVA」で40年代ドイツでの実験音楽であったマーラーからシュトックハウゼン、クセナキスの潮流をノイやクラフトワークのジャーマン・エレクトロニック・ミュージックに接合させたり、’80年にはエリック・サティ特集を組んだり、工作舎から松岡正剛氏のエディトリアルによる単行本”ロックエンド"を発刊して早々とロックへの決別宣言をしていて、千駄ヶ谷にあった一軒家の編集室も畳みロックを総括する態度を固めていた時期でもあった。いまから振り返れば、もはや少年のまま夢を見続けることの出来ない80年代という時代がすぐそこに差し迫っていたのだ。

2008年05月08日

CASCADES 71

JOY DIVISION
IAN CURTIS
FACTORY RECORDS / PETER SAVILLE
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 71

黒い麻生地のような柄が浮き出た触覚紙(tactile paper)の上に地殻変動に似た"white radio waveform, pulsar CP 1919"をプリントしたピーター・サヴェルのデザインによるカヴァー、JOY DIVISION "Unknown Preasures"が発売されたのが'79年だった。内袋には新聞の切り抜きから使用されたドア・
JOY DIVISION/UNKNOWN PLEASURES(FACTORY FACT10)
ハンドルに触れる手の写真が配され、また'80年リリースの「Closer」のカヴァーはイタリア・ジェノヴァのスタリエーノ (Staglieno) 墓地の写真が引用されたジャケットデザインで、それらの思わせぶりなイメージ=神秘的/暗示的アイコン(記号)がジョイ・ディヴィジョンの音楽に与えた影響は大きく、イアン・カーティスの自殺と交配して拡張していく正にサヴェルが語っていた"power of the reductive process"(過程の変形のパワー)そのものであった。ジョイ・デヴィジョンやファクトリー・レコードは、イコール、ピーター・サヴィル(Peter Saville、1955年-)のグラフィック・デザインに支配されていた部分が大きく、ジョイ・ディヴィジョンや、他にはフランス人画家アンリ・ファンタン・ラツールの花の絵を使ったニューオーダーの"Power, Corruption and Lies"などはその象徴的なものだろう。個人的にファクトリー関係のレコードを買っていたのはその音楽よりも彼のジャケット・デザインに惹かれていた部分がかなり大きいのだが、マンチェスター出身のイギリスのグラフィックデザイナー、ピーター・サヴィルは、ファクトリー・レーベルの専属デザイナーとして活動し、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ハッピー・マンデースなどのファクトリーでの多くのジャケットのデザインを手がけ、 '79年以降はロンドンへと活動の拠点を移し、その後ロキシー・ミュージック、OMDなどのジャケット・デザインを担当、'83年に自分のスタジオ"PSA"(ピーター・サヴィル・アソシエイツ)をブレット・ウィッケンズと設立し、この頃から企業アイデンティティのデザインも引き受けるようになる。ロンドンのホワイトチャペル・アート・ギャラリーを初めとし、後には、当展覧会会場のデザイン・ミュージアムも手掛けている。'93年、レコードからCDへの移行に伴いパルプやスエードでのデジタルイメージ加工したデザインや、ビョーク、ゲイ・ダッドのジャケットのデザインも担当しつつ、90年代には、ファッション・プロモーションにも大きく関わり、2000年以降
は、企業コンサルタントとしてセルフリッジ・デパート、プリングル、EMI、ジバンシー、アドビシステムズ、CNNなどを顧客に実験的な作品を制作している。現代イギリスを代表するデザイナーの一人として成功し活躍している。ファクトリーでの音楽はひとことで言えば(ジョイ・ディヴィジョンですら)、すべてが映画"24アワー・パーティー・ピープル (24HOUR PARTY PEOPLE)"でトニー・ウィルソンが何かにつけ"ポストモダン"だと言い放っていたそれである。それ以外の意味などないのだ。

JOY DIVISION/UNKNOWN PLEASURES のイメージ
http://images.google.co.jp/images?num=20&hl=ja&newwindow=1&q=JOY+DIVISION/UNKNOWN+PLEASURES&lr=&um=1&ie=UTF-8

Peter Saville
http://www.btinternet.com/~comme6/saville/

'80年のイアン・カーティスの自殺から28年後の現在、2002年には、レーベルの創設者であるトニー・ウィルソンの視点からファクトリーの盛衰を描いた映画"24アワー・パーティー・ピープル (24HOUR PARTY PEOPLE)"が制作されたり、2007年には、第60回カンヌ国際映画祭でカメラドール/スペシャル・メンション賞を受賞したサム・ライリー主演の、写真家として有名なアントン・コービン監督によるイアン・カーティスの妻デボラの著書"タッチング・フロム・ア・ディスタンス"をもとに、イアン・カーティスの半生を描いた映画"コントロール (Control)"が公開されたり、2008年にはグラント・ジー 監督によるドキュメンタリー作品"ジョイ・ディヴィジョン(JOY DIVISION)"が公開予定だというし、イアン・カーティスの死が、またまた神話のように語られようとしている。ちょっと待てよ。シュルレアリスティックなモンタージュ、想像上の映画のための詩を書いているその目的は、聴くものにメッセージを伝えるためではなく不思議な感情を喚起するためだといっていたイアン・カーティスの、絶望や孤独を歌う歌詞や、憂鬱質なその歌唱、まるで癲癇の発作のように痙攣して唄う彼のステージングマナーや、イギリスの長い不況の暗い時代、前述したジャケットでの"power of the reductive process"(過程の変形のパワー)などなどが相乗効果して、ジョイ・ディヴィジョンは、その始まりから死のイメージだけが強く刻印されていた。アメリカツアーを直前に控えた'80年5月18日に、イアン・カーティスは自宅で首吊り自殺したが、その最大の理由はクレプスキュールの女性オーナーとの恋愛の破綻が原因だった。日頃から持病の癲癇に苦しんでいた上、鬱病、さらに妻デボラとの不仲など女性関係のもつれを抱えていたといわれているが、実はさしたる重大な理由でもなく、日常的なつまらない恋愛破綻のひとつの結末だった。"24 Hour Party People"のなかで、首つり自殺したイアンの足下のアップからフォト・フレームのなかの恋人の写真にパンするだけの、トニー・ウィルソンが描いていたイアンの自殺、まるで笑い話のような意味のない一日が暮れたかのような出来事がその真相だろう。80年代のロック・ミュージックはもはやそこまで堕落し冗談めいていたのだ。スティフ・キトゥンズ(Stiff Kittens)、ワルシャワ(Warsaw)の変遷を経て、'78年1月にイアン・カーティス (Ian Curtis/ボーカル)、バーナード・アルブレクト (Bernard Albrecht)/ギター、キーボード)、ピーター・フック (Peter Hook)/ベース)、スティーヴン・モリス (Stephen Morris)/ドラム)によって始められたジョイ・ディヴィジョンは、その由来は第二次大戦中のユダヤ人女性の日記を元に書かれた小説"The House of Dolls"に登場するフレーズ"Joy Division"(ナチス・ドイツ時代の将校用の慰安所)から引用された。事実上2枚のアルバム「Unknown Pleasures 」、「Closer」だけを残して消滅してしまうのだが、残されたメンバーたちで、その後ギター、バーナード・サムナーをヴォーカルにニュー・オーダーと名前を変え活動を継続することになる。それだけのことだ。ひとはなぜロックミュージシャンの死をそれほどまでに大きく意味を持つものとしてとらえてきたのだろうか。それはロックが活きていた時代にはロックミュージシャンこそが神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すとされる"トリックスター"そのものを意味する存在でもあったし、なによりも60年代のウッドストック・ネーションから引き継がれてきたロックにあった揺るぎないコミュニティが存在していると信じていたからだった。同じ世界観/価値観を共有するロック・コミュニティは、マレー・ラーナー監督のドキュメンタリー映画"ワイト島1970ー輝かしきロックの残像"で示唆されていたロックの危機で完全に終結してしまったのだが、企業のものになる以前の我々の共通言語としてのロックを、ロックファンは80年代までは愚直に信じていたのかも知れない。ボクはいま冷淡に、イアン・カーティスの死をただそれだけのことと書いている。だけど本音を言うと'84年の単行本「イコノスタシス」も雑誌「EGO」も、彼の自殺を真摯に捉え、ロックにおけるコミュニティの夢におとしまえを付け総括する意味と、ロックに関わり、少なからず影響を与えてきた自分自身の社会的/道義的責任を果たすために編集したものだったとだけ付け加えておきたい。

グラント・ジョー監督作品「JOY DIVISION」
http://joydivision-mv.com/trailer.html

JOY DIVISION/UNKNOWN PLEASURES(FACTORY FACT10)
outside:Disorder/Day Of The Lords/Candidate/Insight/New Dawn Fades
inside:She's Lost Control/Shadowplay/Wilderness/Interzone/I Remember Nothing
words and music by Joy Division
produced by Martin Hannett
engineered by Chris Nagle
recorded at Strawberry Studios,Stockport
sleeve designed by Joy Division and Peter Saville
FACTORY 1979

'79年のデビューアルバム。同年10月にシングル"Transmission"、その後12インチシングル"Atmosphere/She's Lost Control"、それに伴ってライブ活動も精力的に行い'80年にシングル"Love Will Tear Us Apart"を立て続けにリリースする。パンク・ロックにシンセサイザーなどのデジタル機器を取り入れ、ア・サーティン・レシオに対峙するものとして プロデューサーのマーティン・ハネットによってある意味でっち上げられて作られたユニットがジョイ・ディヴィジョンだ。他のYレコードなどにみられたニューウェイヴ・ダンスに共通するダンスビートを取り入れたポストパンクやニュー・ウェーヴ・スタイルの先駆けとなったサウンド。先日春の陽気に誘われて堀江の小さなブティックの前を通り過ぎたときに店頭に飾られていた"white radio waveform, pulsar CP 1919"がプリントされたTシャツ。記号化されたそれこそが現在のジョイ・ディヴィジョンのリアルな姿なのだ。もはやこれもファッションだ。イアン・カーティスの声と詩すらも時代とともに遠のき色褪せていく。それが正解だ。いまだに感情移入している奴こそ可笑しいのだ。

JOY DIVISION/ATMOSPHERE/SHE'S LOST CONTROL(FACUS 2)
A:Atmosphere
B:She's Lost Control
produced by Martin Hannett
photograph,Chrles Meecham
typographics,Peter Saville
published by Fractured Music
FACTORY 1980
2/9/80


JOY DIVISION/LOVE WILL TEAR US APART(FAC 23)
A:Love Will Tear Us Apart
B:These Days
produced by Martin Hannett
FACTORY 1980

JOY DIVISION/LOVE WILL TEAR US APART(FAC 23-12)
A:Love Will Tear Us Apart
B:These Days/Love Will Tear Us Apart
produced by Martin Hannett
FACTORY 1980

JOY DIVISION/CLOSER(FACT XXV 25)
side A:1.Atrocuty exhibition 2.isolation 3.Passover 4.Colony 5.A Means To An End
side B:1.heart And Soul 2.Twenty Four Hours 3.The eternal 4.Decades
produced by Martin Hannett at Brittania Row
engineered by Martin Hannett and John Caffery
assisted by Michael Johnson
photograph by Bernard Pierre Wolff
designed by Peter Saville/Martyn Atkins
printed by Garrod And Lofthouse Limited
FACTORY 1980

映画「バスキア」、「夜になる前に」、「潜水服は蝶の夢を見る」の、あるいはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのジャケットデザインなどで有名なブルックリンの新表現主義の画家、映画監督のジュリアン・シュナベールは"絶望"だけがリアルだと感じ、"皿の上の絵画"という作品で彼は働いていたレストランのごみ捨て場に捨てられた皿を画面に張り付け、すでに命脈の尽きた絵画と彼の日々の"絶望"を象徴する事物と結びつける。シュナベールの戦略は、言わば絵画の終わった状況に対する開き直りだという。その彼の作品にイアン・カーティスのための絵画"絶望/Despair(1980)"という作品があるらしいが、ジョイ・ディヴィジョンのこのセカンドの美しいジャケットをモチーフにした作品だという。"人生の深淵を見つめること。目覚める機会。これは死や病と対峠する我々全ての物語だ。注意深く見れば、そこに意味や美がある"という彼に相応しい着眼だ。イアン・カーティスの死後、'80年の7月に2nd「Closer」が発表され、バックのニューウェイヴ・ディスコ・ダンス/テクノ風のサウンドに溶け込まない音痴ぎみの底無しに絶望的な弱々しいイアン・カーティスの声に、当時はイアンの死にはある種の必然性を感じて聴いていた。この頃からイアンは恋愛の清算として自身へ送る葬送曲を書いていたのだろう。それにしてもゴチックの、イタリア・ジェノヴァのスタリエーノ (Staglieno) 墓地の写真が引用されたジャケットデザインは不吉で美しい。

イタリア・ジェノヴァのスタリエーノ (Staglieno) 墓地
http://www.cimiterodistaglieno.it/

JOY DIVISION/TRANSMISSION(FAC 13×12)
A:Transmission
B:Novelty
produced by Martin Hannett
FACTORY 1980

JOY DIVISION/STILL(FACT.40)
side 1:Exercise One/Ice Age/The Sound Of Music/Glass/The Only Mistake
side 2:Walked In Line/The Kill/Something Must Break/Dead Souls/Sister Ray
side 3:Ceremony/Shadowplay/Means To An Endo/Passover/New Dawn Fades
side 4:Transmission/Disorder/Isolation/Decades/Digital
produced by Martin Hannet
engineered by Chris Nagle
side 3 and 4 recorded at Birmingham University 2/5/80
sister ray*-recorded at The Moonlight Club,London 3/4/80
all songs written by Joy Division
published by Fractured Music
sister ray*-written by Reed/Tucker/Morrison/Cale
arranged by Joy Division
published by Sunbury Music Ltd.
FACTORY 1981

このアルバムで印象的だったのは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのセカンドアルバム「White Light/White Heat」のなかの、フリー・インプロヴィゼイションの限界に挑んだと言われていた17分にも及ぶ大作"Sister Ray"のカヴァーだった。そしてアルバムのサイド3と4のイアンの自殺の2週間前の'80年5月2日のバーミンガム大学で録音されたライヴの、サイド4."Passover"ではスティーヴン・モリスのドラムミング・ミスがそのまま収録されていてイアンのボーカルが2小節中断したり、サイド4の"Decades"ではバーナード・アルブレクトの調子外れのキーのキーボードのサウンドなど、バンドとしても素人の域を脱しきれていなかった彼らの音楽スキルと、当時のメンバー間のギクシャクした関係が明らかにされているようで興味深かった。このアルバムを聴いた限りでも、イアンの自殺がなくとも恐らくジョイ・ディヴィジョンは早々に消滅していただろうし、解散していただろう。

JOY DIVISION/SUBSTANCE 1977-1980(FACT 250)
A:1.Warsaw 2.Leaders Of Men 3.Digital 4.Autosuggestion 5.Transmission
B:1.She's Lost Control 2.Incubation 3.Dead Souls 4.Atmospher 5.Love Will Tar Us Apart
written by Joy Division
produced by Joy Division & Martin Hannett
FACTORY 1980

ファーストアルバム以前に発表していたシングルと、ファクトリーのオムニバスに発表した作品など、オリジナルアルバムに未収録の作品をコンパイルしたアルバム。ここからはポストパンクとしての80年代音楽が聴こえてくる。

JOY DIVISION/ATMOSPHERE 1979(FAC213)
A:Atmosphere
B:The Only Mistake/Sound Of Music
written by Joy Division
produced by Joy Division/Martin Hannett
FACTORY 1988

SHORT CIRCUIT LIVE AT THE ELECTRIC CIRCUS(VIRGIN VCL 5003)
side one:1.THE FALL-Stepping Out 2.JOHN COOPER CLARKE-Daily Express 3.JOY DIVISION-At The Later Date 4.THE DRONES-Persecution Complex
side two:1.STEEL PULSE-Makka Splaff 2.JOHN COOPER CLARK-I Married a Monster from Outer Space 3.THE FALL-Last Orders 4.BUZZCOCKS-Time's Up
VIRGIN 1978

'78年にヴァージンからリリースされた10インチ・コンピレーション。ジョイ・ディヴィジョンのワルシャワ時代のパンキッシュなコンセプトを引き継ぐ音楽が1曲収録されている。イアン・カーティスのヴォーカルもエネルギッシュなパンクスのものだ。エレクトリック・サーカスは70年代のマンチェスターでは重要なライヴハウスだった。それが後の80-90年代後期までのマッドチェスター・ムーヴメントのハシエンダに繋がってゆく。


WARSAW/AT A LATER DATE(FACTORY)
this side:At A Later Date/The Kill
other side:Gutz
all titles:Rubble,Hookey,Dale
published by Lost Culture Inc.

J.D./WARSAW(RZM PRODUCTIONS LTD.)
side A:1.All Of This For You 2.Leaders Of Men 3.They Walked in Line 4.Failures 5.Novelty 6.No Love Lost
side B:1.Transmission 2.Living In The Ice Age 3.Interzone 4.Warsaw 5.Shadow Play


WARSAW/THE IDEAL BEGINNING(LP663/AEP1)
side 1:Gutz
side 2:1.At A Later Date 2.The Kill
recorded on July 18th 1977
Ian Cartis(lead Vocals) Berney Rubble(guitars) Pete Hookey(bass) Steve Dale(drums)
*Joy Division's First Recordings Limited Edition Collecters Item

JOY DIVISION/GRUFTGESAENGE"15 July 1956-IAN CURTIS-18 May 1980"(DEMOCRAZY DR 003-4)
Tagseite:Passover/Wilderness/Digital/Day Of The Lords/Insight/New Dawn Fades/Disorder
Natchtseite:Transmission/Love Will Tear Us Apart/These Days/A Means To An End/25 Hours/Shadowplay
Lichtseite:She's Lost Kontrol/Atrocity Exhibition(rec.live Amsterdam Paradieso 11.1.80) /Atomosphere/Dead Souls/Komakino
Blindseite:Incubation pt.1/Incubation pt.2/Digital/Glass(demo outtakes 1978)/Komakino/Incubation 1 & 28(Factory Flexi Didc 1980)

イアン・カーティスの死後、続々発売された海賊盤。ここにこそ彼らの本当のリアルな姿、音楽が収録されていると言っていいだろう。

JOY DIVISION
http://www.youtube.com/results?search_query=JOY+DIVISION&search_type=

追記 松岡正剛氏は、'80年代のボクのエディトリアル/音楽評論活動を支えてくれ、また彼から多くのものを学んだ恩人のような存在でもある人だが、21世紀の人間関係について千夜千冊 遊蕩篇の"ジグムント/コミュニティ"のなかで、『"放っておいてほしいんだ"、"どこにも属したくないんだ"と言いたい連中が急激に広まっているということがある。これを社会学では「脱領域性」(exterritoriality)というのだが、自分の周辺以外は無関心でいたい、所属領域から分離されていたっていい、面倒なら引き下がればいいんでしょうというような心情が、企業にも近隣にも官僚社会にも学校にも蔓延しつつあるわけなのだ。それが最近の日本では、"親であることもやめたっていいんだ"、"子供であることも、兄弟であることも縁を切ったっていいんだ"というふうになっていて、やたらに家族間の殺人事件につながっている。また、もうひとつ柔らかそうな現象でいうのなら、第2には、このような脱領域的感覚が、一方では"クール"だともてはやされてしまったことがある。これは例のディック・バウンテンとデヴィッド・ロビンズの「クール・ルールズ」(研究社)がふりまいた社会ウィルスで、"本気で親密な関係をもつことに対する拒否"から生じた感覚をいう。つまりは、気まぐれに結婚し、適当に仕事をし、飽きたらクールに離婚し、とくに相手を占有しなくったって好きにセックスができ、いつだって自分の所属する社会からの撤退や逃走ができるというその感覚を、うっかり"クール"と名付けてしまったのだった。これがいつしか日本の"かわいい"現象と結びつき、ときに“ジャパン・クール”とか“クール・ジャパン”などともてはやされて、それにぬけぬけと乗っている連中がアーティストや評論家たちにもぶちぶち多くなっていることは、ぼくが指摘するまでもないだろう』と書かれている。ボクにも彼のこの痛烈な批判に思い当たる節は多々あるが、80年代中期を境にして彼の言説通りの人間模様がボクにも蔓延し始めて、それがロックの完璧な終焉と合致し、意識的に80年代後半から90年代中期まで一切の評論と人間関係を断ち頑なに沈黙を守り寡黙な姿勢を固持してきた。さて、4年前にjaz' room nu thingsという場を立ち上げたが、クラブミュージックの核になっているクール・ルールズな姿勢に端からコミュニティなどは生まれ得ないし期待してもいない。DJやクラウドと比較するとそれならまだ、いまもロック系のミュージシャンや若いロックファンのほうが少なからず人間的魅力を持っているのだ。それはなぜだろう。



阿木 譲著「イコノスタシス/ICONOSTESIS」(発行impetus)
84年9月にインピタスから発刊された352ページからなるボクの単行本「ICONOSTESIS」。イアン・カーティスの死や、音楽を聴くことによって生まれるイメージは同時代全体の象徴的意味を持っていた、そのイコノグラフィックな像を考察したもの。イコノロジーはいまもイベント会場や製造工場などでのRFID(ICタグ)、タイポグラフィックとして、またコンピュータのなかでも生き続けているが、80年代のジョイ・ディヴィジョンの音楽の本当の意味や、ロックがなにを意味していたのかを知りたいひとは、是非読んでもらいたい。先日、オークションで1万円の高値が付けられているのを偶然見て微妙な気持ちだったけれど、当時は取次ぎや書店からの返本の山を前にして哀しくなったものである。悪い癖で返本されてきた書籍は単行本であっても雑誌「ロックマガジン」であってもすぐに廃棄処分にしてしまったから、古本屋でみつけるのも困難でしょうけれど。振り返ればこの単行本「イコノスタシス」と同じようにジョイ・ディヴィジョンのレコードだってリアルタイムにどれだけのロックファンが聴いていたのか疑わしい。映画「コントロール」に寄せられた各界からの声として、業界人がさもイアンの死をリアルに捉えていたかのような白々しいコメントを寄せているけれど、チャンチャラおかしいぜ。

2008年05月12日

CASCADES 72

A CERTAIN RATIO
SIMON TOPPING
FACTORY RECORDS
SOUL JAZZ RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 72

ファクトリー・レコードのなかで最も好きだったユニットは、ジョイ・ディヴィジョンでもニューオーダーでもハッピーマンデースでもなく、ア・サーティン・レシオだった。ファクトリー・レーベルの創設者トニー・ウィルソンが最も力を入れていたバンドがACRだったし、イーノの初期のアヴァンポップを継承するパンクファンク・バンドとしての彼らの特異なダンスミュージック
は、ニューウェイヴ・バンドのなかでは突出して輝いていたし、ロックファンには総スカンを喰らったが、新しい時代の息吹を察知していた音楽ファンにはファクトリーのなかでは最も支持されていた。日没、黄昏の、80年代ブリティッシュの移ろい行く時代を象徴するア・サーティン・レシオの、心にいまも残響するパンクファンクだった。

2000年にnuphonicレーベルから発表されたAndy Weatherallの“Nine O'Clock Drop”では、80年代のニューウェイヴ・ディスコ/パンクファンクと呼ばれたア・サーティン・レシオの曲"Water line"が、Quando Quango、23Skidoo、Colorbox、400Blows、Normalの曲などに混じって選曲されリミックスを施されてコンパイルされていた。そしてソウルジャズ・レコードから"Shack-Up"のオリジナル・ヴァージョンがシングルカットされ再発されたり、2002年には2枚組コンパイル・アルバム「Early」、7インチシングル「Do the Du」、2枚組10インチ「B-Sides,Sessions & Rarities」などが続々リリースされているし、ファクトリー・レコードの創設者トニー・ウィルソンの伝記映画“24 Hour Party People”では主に彼らをフィーチャーした映像構成がされていた。

SIMON TOPPING/PROSPECT PARK(FBN 41)
side one:Prospect Park
side two:1.Chicas Del Mundo 2.Mission And 24
written by Simon Topping
FACTORY BENELUX 1985

特にA CERTAIN RATIOのフロント・マンだったサイモン・トッピングがバンド脱退後にファクトリー・ベネルクスから'85年にリリースしたシングル「Prospect Park」は現在のニコラ・コンテに共通するオシャレなラテン・ジャズを展開していて、パーカッシヴなラテン・グルーヴにピアノやトランペットやフルートがnu jazz風に交錯し、当時のクレプスキュールやファクトリーが果たした時代の先駆性を再認識させられる。サイモンはSWANP CHILDRENのプロデュースやQuando Quango、Durutti Column、Winston Tongの作品でもトランペットやパーカッションで関わっていたり、'88年にDeconstructionからリリースされたアシッド・ハウスの名盤「Various - North - The Sound Of The Dance Underground」でT-COY名義でコンパイルされ、80年代後半には既にクラブシーンの領域に侵入しDJとしてハシエンダなどで活動していた。
80年代の中期にはこのサイモン・トッピングもそうだが、ベルギーのブリュッセルでの"黄昏"を意味する"レス・ディスクス・デュ・クレプスキュール"からリリースされていたSteve Lacy「Hocus-Pocas」Twi 683)、Roy Nathanson+Curtis Fowlkes & THE JAZZ PASSENGERS「Deranged & Decomposed」(Twi 846)、ソフト・ヴァーディクトのプロデュースによるWin Martens「Maximizing The Audience」(TWI 485)などのいわゆる実質上のポストモダン・ミュージックばかりを聴いていた。ここには現在ボクがjaz' room nuthingsで推進している"ジャズ的なるもの"が既に聴こえていて、ロックという大きな物語りが終わった跡の90年代のクラブミュージックが始まるまでの空白を埋めてくれたのが、このクレプスキュールの音楽に底流しているカールハインツ・シュトックハウゼンやジョン・ケージなどの現代音楽のヴィジョンと、それにミニマルミュージックや、"ジャズ的なるもの"だった。しかしクレプスキュールの音楽は、初期のHarmineやAntenaでさえ、現在のクラブシーンで充分機能する"ジャズ的なるもの"が聴こえてきて、こうした音楽こそが現在のクラブシーンに最も必要なコンセプトだと思う。全作品というほどの数のアルバム/シングルを持っているので近いうちに最考察するつもりである。

A CERTAIN RATIO/DO THE DU(SJR 60-7)
hipside:Do The Du
taken from the John Peel Session recorded 1/10/1979
flipside:Skipscade
taken from the John Peel session recorded 29/6/1981
written by ACR
photography by Daniel Meadows
SOUL JAZZ RECORDS

A CERTAIN RATIO/"B-SIDES,SESSIONS & RARITIES"(SJR 65-10)
side one:1.All Night Party(original 7" single) 2.Faceless(graveyard & ballroom) 3.Do the Do(John Peel session,1979)
side two:1.All Night Party(John Peel session,1979) 2.Flight(John Peside three:1.Choir(John Peel Session,1979) 2.Skipscade(John Peel session,1981) 3.Felch(original NYC mix)
side four:1.Abracadubra(Sir horatio 12") 2.Tumba Rhumba(7" single b-side) 3.Si Fermir O Grido('Touch' cassette)
SOUL JAZZ RECORDS

A CERTAIN RATIO/EARLY(SJR LP60)
side one:1.Do the Do 2.Flight 3.Waterline
side two:1.Shack Up 2.the Fox 3.blown Away 4.Gum
side three:1.Life7s a Scream 2.Skipscade 3.Knife Slits Water
side four:1.Sounds Like Something Dirty 2.Touch 3.Saturn
written by A Certain Ratio
SOUL JAZZ RECORDS 2002
ソウルジャズからDJ用にア・サーティン・レシオの初期の音源がコンパイルされた7インチシングルと、10インチ2枚組、そしてアルバム2枚組。

A CERTAIN RATIO/THE GRAVEYARD AND THE BALLROOM(B0001ANTXE)
"The Graveyard":1. Do The Du 2. Faceless 3. Crippled Child 4. Choir 5. Flight 6. I feel 7. Strain
"The Ballroom":1. All Night Party 2. Oceans 3. The Choir 4.. The Fox 5. Suspect 6. Flight 7. Genotype/Phenotype
Originally released in 1980
Universal Sound 2004
SOUL JAZZ傘下のUNIVERSAL SOUNDからリリースされた事実上の80年のデビュー作。当時はカセットテープでしかリリースされずパンクとブライアン・イーノの音楽に影響されたまだ洗練されていない荒削りのパンキッシュなファンク・サウンドが聴ける。


In The Beginning,There Was Rhythm
A CERTAIN RATIO/SHACK UP
(SJR 57-12)
A:A Certain Ratio/Shack Up
B:Human League/Being Boiled
SOUL JAZZ RECORDS

VA/In The Beginning There Was Rhythm(SJR LP57)
side 1:1.A Certain Ratio/Shack Up 2.23 Skidoo/Coup 3.Gang Of Four/To Hell With Poverty
side 2:1.The Human Leafue/Being Boiled 2.The Slits/In The Beginning 3.This Heat/24-Track Loop
side 3:1.Throbbing Gristle/20 Jazz Funk Greats 2.A Certain Ratio/Knife Slits Water
side 4:1.Cabaret Voltaire/Sluggin Fer Jesus 2.The Pop Group/She Is Betond Good And Evil 3.23 Skidoo/Vegas El Bandito
SOUL JAZZ RECORDS

金属的なギターのリフとスペーシーな管楽器の音がパンクファンクなグルーヴのうえを疾走するニューウェイヴ・ディスコで流行った"Shack Up"と、当時のGang Of Four、 The Pop Group、PigbagなどのYレーベルや、インダストリアル・ミュージックのCabaret Voltaire、23 Skidoo、Throbbing Gristleなどが新たにインダストリアル・ダンス・ミュージックとして再解釈されコンパイルされている。

A Certain Ratio - Tribeca
http://www.youtube.com/watch?v=Ffmn2-l37Dk
A CERTAIN RATIO
http://www.youtube.com/results?search_query=A+CERTAIN+RATIO&search_type=

ドイツのクラフトワークなどのジャーマン・エクスペリメンタル・テクノや、BCギルバート、Gルイスのワイアー、アメリカのファンカデリックなサウンド、'78年の狂い増幅したパンク・ウェイヴに影響されたア・サーティン・レシオは、'77年にマンチェスターで、サイモン・トッピング(SIMON TOPPING / Vocal)、ピーター・ティレル(PETER TERELL / Guitar, Noisebox)、ジェレミー・カー(JEREMY KERR / Bass,Vocal)、そしてマーティン・モスクロップ(MARTIN MOSCROP / Guitar,Trumpet)のドラムレスという4人組ユニットで結成された。
A CERTAIN RATIO/TO EACH...(FACTORY FACT 35)
ア・サーティン・レシオの名前の由来は、ブライアン・イーノのアルバム「Taking Tiger Mountain (By Strategy)」での収録曲"The True Wheel"の、人々を分類するとき(A Certain"ある一定の比率を意味する")に発せられたヒトラーの"Jewish blood"から引用され、それは彼らのファースト・アルバム「TO EACH...」のジャケットのイラストや写真に具象化されてい
る。当時16-18歳という非常に若いメンバーだった彼らはザ・ポップ・グループのマーク・スチュワートに気に入られ(ACRの音楽は当時のピッグバッグなどのYレーベル・サウンドとも言えるもので、もし彼らがYレコードからアルバムをリリースしていたら、また違った運命を歩んでいただろうに)、ファクトリーとの契約を結び、'79年5月にマーティン・ハネットのプロデュースによる7インチシングル「Thin Boys/Allnight 」でデヴューする。その後、黒人ドラマー、ドナルド・ジョンスン(DONALD JOHNSON)がバンドに新加入して5人組のACRは、パンクファンクというパンク・サウンドから影響を受けたソリッドなギターサウンドと太いベースライン、黒っぽい土着的ファンクグルーヴの7インチシングル「SHACK-UP/AND THEN AGAIN」、スタジオデモとライブが収録された限定版カセットテープ「THE GRAVEYARD AND THE BALLROOM」などをリリースしているが、ア・サーティン・レシオの太いベースラインとトランペットの絡み、アフロ/ラテン・パーカッション・グルーヴのうえにヴォーカルにマーサ・ティルソン(MARTHA TILSON/82年にはグループを去るが)を補充したセクステットでの、'81年のデビュー・アルバム「To Each...」が事実上ACRサウンドが確立されたものだ。ステージ上でのボーイスカウトを思わせる半ズボンと軍隊装備(ミリタリールック)の装いは彼らのトレードマークだった。その後、オリジナル・メンバーのティレルがグループを脱けアンディ・コーネル(ANDY CONNELL)が新たにキーボード・プレイヤーとして参加し、6人編成となり「WATER LINE」、「KNIFES LITS WATER」の2枚の12インチシングルと、セカンドアルバム「SEXTET」を発表するが、この頃にはまたしても80年代のバンドに特徴的なメンバーの交代劇が早々と頻繁に起こり、ヴォーカルのサイモン・トッピングがまず最初に脱退。'83年にファクトリーがACRのマネージメントから手を引いたのと前後して、事実上ACRの魅力は半減していたといっていいだろう。サードアルバム「I'D LIKE TO SEE YOU AGAIN」(このアルバムにはクラフトワークのディスコテクノ風の曲もあるが、良くも悪くもあまりにニューヨーク・ディスコサウンド化され、スクリッティ・ポリッティに似たアメリカナイズされたダサさが"鼻"/耳に付く)、12インチシングル「I NEED SOMEONE TONIGHT/DON'T YOU WORRY BOUT A THING」が発表されたヴォーカリストとしてキャロル・マッケンジー(CAROL Mc'KENZIE)が新加入した頃には、もう事実上彼らのデヴュー当時にあった音楽への熱意と斬新さは消えている。その後、84年にマッケンジーもグループを去り、レコーディング・セッションでベースを担当していたジェズ(JEZ)のヴォーカルによる2枚の12インチシングル「LIFE'S A SCREAM」、「BRAZILIA」を発表し、'87年にA&Mへ移籍した頃のACRの音楽はお世辞にも聴けたものじゃなく、ボクのなかから彼らの音楽はいつの間にか消えて行った。そして2000年に入って再び''82年頃までの初期のア・サーティン・レシオのダンスミュージックがクラブシーンでクラブDJたちの手によって再生され再評価されたというわけである。

A CERTAIN RATIO/TO EACH...(FACTORY FACT 35)
side A:1.Felch 2.My Spirit 3.Forced Laugh 5.Back To The Start
side B:1.The Fox 2.Loss 3.Oceans 4.Winter Hill
recorded:E.A.R.S.,East Orange,New Jersey
mixed:Strawberry,Stockport
engineeres:Chris Nagle & Bruce Gerstein
produced by Martin Hannet and ACR
painting by Ann
photograph by Colin
cover co-ordination by Peter Christopherson
FACTORY 1981
'81年にリリースされた1stアルバム。ニュー・ウェイヴ/パンクとブラジリアン、ファンク、スピリチュアル&ダビー、そしてジャズ・テイストなサウンドこそがACRの音楽の魅力だった。ジャズ・テイストも感じられる初期のダブ処理されたサウンドは、クールでもあった。彼らの作品のなかではベスト盤だといえるだろう。

A CERTAIN RATIO/THE GRAVEYARD AND THE BALLROOM'BOXED CASSETTE'(FACT 16)
"The Graveyard" 1.Do the Do(casse) 2.Faceless 3.Crippled Child 4.Choir 5.Flight 6.I Feel 7.Strain
"The Ballroom" 1.All Night Party 2.Oceans 3.The Choir 4.The Fox 5.Suspect 6.Flight 7.Genotype/Phenotype
produced by Martin Hannet and engineered by Stuart Pickering on Graveyard Studios 4 track,Prestwich,September 15/16,1979
written by Topping,Moscrop,Kerr,Johnstone and Terel
published by M24J Music
mixed by Jeff Hooper and Tony Wilson,at The Electric Ballroom,october 1979
witten by A Certain Ratio
published by Movement of 24th January Music
FACTORY RECORDS 1979
ACRの最初の作品はオレンジ色のヴィニールケースに入れられたカセットテープで発表された。当時はカセットテープもレコードと同じように重要な音楽メディアのひとつだった。これはSoul Jazz傘下のユニヴァーサル・サウンドから'04年にCDで再発されている(上記参照)

A CERTAIN RATIO/SHACK UP(FAC BN 1-004)
A:Shack-Up(carter-deniel)
B:And Then Again(acr)
a factory benelux product.
made in belgium
45rpm
published by united artists m.inc
FACTORY BENELUX 1980

A CERTAIN RATIO/BLOWN AWAY(FAC 22)
[Hipside]:Flight
[Flipside]:Blown Away / And Then Again
ACR:Simon Topping / Donald Johnstone / Jeremy Kerr / Peter Terrell / Martin Moscrop
produced by Martin Hannett at Revolution and Strawberry
engineered by Chris Nagle,Phil Ault and Jonathan Hurst
written by A Certain Ratio
paintng by Ann,engraving by Richard Boon
drawing by Phil Diggle,antiques by ACR,photographs by Daniel Meadows
printing by Garrod and Lofthouse,design by Saville and Arkins
FACTORY 1980

A CERTAIN RATIO/WATERLINE(FAC 52)
A:Waterline
B:Funaezekea
written by ACR
produced by ACR at Revolution Studios Cheadle Hulme
FACTORY 1981

A CERTAIN RATIO/GUESS WHO(FACTORY BENELUX FBN 17)
A:Guess Who?
B:Guess Who? (Part Two)
recorded in Brussels,February 1982
produced by ACR
FACTORY BENELUX 1982

A CERTAIN RATIO/KNIFE SLITS WATER(FAC 62)
this side:Kether Hot Knives(mix in special)
other side:Knife Slits Water
written and produced by ACR
*The Sound Sound Proudly Presents
FACTORY 1982

A CERTAIN RATIO/SEXTET(FACT 55)
side A:1.Lucinda 2.Crystal 3.Gum 4.Knife Slits Water
side B:1.Skipscada 2.Day One 3.Rub Down 4.Rialto 5.Below the Canal
all songs written,played & produced by ACR
engineered by Phil Ault at Revolution Studios,Cheadle Hulme,Manchester,England,Spring 81
sleeve concept:ACR sleeve painting:Denis Ryan
Johnson Jeremy Kerr Martin Moscrop Peter Terel Martha Tilson Simon Topping
FACTORY 1982
セルフ・プロデュースによるACRのセカンド・アルバム。新メンバーにアメリカ人女性ヴォーカル、マーサ・ティルソンを加えファンクやダブさらにテープ・ループを駆使したそのサウンドはより洗練されパンクファンクからクールファンクの変容がみられACRの音楽がピークだった頃の作品。個人的にはファーストのワイルダ/ダークなパンクファンクのほうが好みだが。

A CERTAIN RATIO/I'D LIKE TO SEE YOU AGAIN(FACT 65)
A:Touch / Saturn / Hot Knights / I' d Like To See You Again
B:Show Case / Sesamo Apriti-Corco Vada / Guess Who
recorded at Revolution Studios, Cheadle,Manchester.
engineered by Phil Ault
written and produced by A Certain Ratio
ACR:Simon Topping Donald Johnson Jeremy Kerr Peter Terrell Martin Moscrop
FACTORY 1982

A CERTAIN RATIO/I NEED SOMEONE TONIGHT(FAC72)
A:I Need Someone Tonight
B:Don't You Worry 'Bout a Thing
both songs arranged and written-produced by ACR
engineered by Stuart Pickering at Revolution Studios Cheadle
ACR:Andy Connell(keyboards,backing vocals,percussion) Donald Johnson(vocals,congas,bass) Jeremy Kerr(bass,backing vocals,pecussion) Martin Moscrop(DMX drums,acoustic drums,percussion)
guests:Carol McKenzie(vocals) Be Music(synth programme)
FACTORY 1983

A CERTAIN RATIO/LIFE'S A SCREAM(FAC 112)
dance side:Lifes A Scream
trance side:There's Only This
written and produced by ACR
engineer Stuart Pickering
FACTORY 1984

A CERTAIN RATIO/BRAZILIA(FACTORY BENELUS FBN 32)
side A:Brazilia
side B:Brazilia(extended mix)
written & produced by ACR
engineer Stuart Pickering
ACR are Jeremy Kerr,Martin Moskrop,Donald Johnson,Andrew Connell
FACTORY BENELUX 1985
2002年にクラブシーンでDimitri From Parisなどによってもカヴァーされクラブジャズとして再生された「Brazilia」。しかしリミックスされなくても充分このまま現在のクラブジャズとしてDJイング可能だ。この12インチシングルのラテンテイストの曲の、時代に色褪せない普遍性こそが"ジャズ的なるもの"の正体であり、音楽の本来あるべき姿であり意味なのだ。

A CERTAIN RATIO/WILD PARTY(FAC 128)
A:Wild Party
B:Sounds Like Something Dirty
written & produced by ACR
engineered by Mike Johnson
recorded at Strawberry Studios
mixed at Revolution Studios
sleeve:Trevor Johnson
ACR are Andrew Connell / Jeremy Kerr / Donald Johnson / Martin Moscrop with Anthony Quigley on sax
FACTORY 1985

A CERTAIN RATIO/THE OLD & THE NEW(FACT 135)
A:Flight / Do The Do / And Then Again /The Fox / Blown Away
B:Sounds Like Something Dirty / Life's A Scream / There's Only This / Wild Party
C:Shack Up
D:Thin Boys
written by Connell,Kerr,Johnson,Moscrop
produced by Hannett and ACR
FACTORY 1986
7インチEPがジャケットに添付された'78ー'85年の作品11曲がコンパイルされたもの。ジャケットそのものに美術品的価値のあるフェティッシュなもの。

A CERTAIN RATIO/MICKEY WAY (THE CANDY BAR)(FAC 168)
North:Mickey Way (The Candy Bar)
South:Inside / Si Firmi O Grido
all songs written,arranged and played by A Certain Ratio
rombone on 'Mickey Way'-Tom Barnish
produced by Stuart James and ACR
recorded and mixed at Yello 2 Studios,Manchester-July & August 1986
engineered by Paul Harrison and Stuart James
sleeve-Johnson Panas
FACTORY 1986

A CERTAIN RATIO/FORCE(FACT 166)
[North]:Only Together / Bootsy / Fever 103 / Naked and White
[South]:Mickey Way / And Then She Smiles / Take Me Down / Anthem
ACR are Jeremy Kerr(lead vocals,bass guitar and tape) Anthony Quigley(soprano and tenor saxophones) Donald Johnson(drums and backing vocals) Martin Moscrop(guitar,guitar synths and trumpet) Andrew Connell(piano,vocoder,synthesisers and keyboard sample)
additional musicians:Tom Barnish(trombone on 'Mickey Way' and 'Bootsy') Corinne Drewery(additional vocals on 'Bootsy') Paul Harrison(DX7 bass programmes)
sleeve:Johnson Panas
ACR management:Mick Paterson
FACTORY 1986
ここまで洗練されるとスクリッティ・ポリッティと同じようにACRのパンクファンクの魅力は半減され、アヴァン・ポップミュージック、あるいはアメリカナイズされたディスコ・サウンドと言ったほうが妥当だろう。ファンクはやはりディスコになってしまっては元も子もないのだ。

2008年05月15日

CASCADES 73

QUANDO QUANGO
ALAN DAVID-TU
FACTORY RECORDS
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 73

クアンドゥ・クアンゴーは'80年にロッテルダム(オランダ)でMike Pickeringと、Gonnie Rietveld、Reinier Rietveld兄妹で始められ、その後'82年にマンチェスターに移住した彼らは、ハシエンダを拠点にしピッカーリングの友人Rob Grettonをメンバーに加え活動を始めるが、レーニエ・リートフェルトがロッテルダムのバンドSpasmodiqueでの活動をメインとするため脱退し、その跡を埋めるためにア・サーティン・レシオを脱退したサイモン・トッピングがパーカッショニストとしてメンバーに加入する。
QUANDO QUANGO/GO EXCITING(FAC67)
リートフェルトのプログラミングによるエレクトロニック・サウンドにピッカーリングの歌詞とメロディーからなるクアンドゥ・クアンゴーのダンスミュージックはフェラ・クティ+クラフトワークが合体したものと言われ、トロピカル、エレクトロ、ジャズファンクが一体となった当時としては近未来サウンドを予感させるものだった。いまではファンカラティーナ/ダンスクラシックとも言える彼らの音楽は、「LOVE TEMPO」をTR-9のMARK KAMMINSがリミックスしたり、多くのクラブDJたちに支持されDJイングされ続けていた。トータルプロデュースに(トーキングヘッズのデヴィッド・バーンや、UB40、Beastie Boysのアルバム・プロデュースで有名な)Mark Kaminsの名前がみられる'85年にファクトリーからリリースされた唯一のアルバム「Pigs + Battleships」(タイトルは今村昌平監督の映画"豚と軍艦/Hogs and Warships"から採られた)には、52nd StreetのBeverley McDonaldや、Derek Johnson、Barry Johnson兄弟、ACRのAndy Connell、Vinni Reilyなど多くのアーティストが関わっていたし、快楽主義的なそのパーカッシヴなラテンジャズ・サウンドは、80年代がなによりもディスコが音楽発生源としてのリアルな場だったことを証明している。グループが解散した後、ピカリングやトッピングはT-COYというDJユニットを作り80年代後半にはディスコ/クラブシーンに侵入している。クアンドゥ・クアンゴーの音楽はいまも色褪せてなく、まだまだ捨てたものじゃないが、それよりもオランダのアーティスト、Alan David-Tuによるジャケットアート/スリーヴデザインは、80年代のイギリス美術の"ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャー"のブリティッシュ・モダンを想起させるほどに美し過ぎる。

QUANDO QUANGO
http://www.youtube.com/results?search_query=QUANDO+QUANGO&search_type=

QUANDO QUANGO/GO EXCITING(FAC67)
A:Go Exciting
B:Tingle
recorded at Strawberry Studios
engineered by Chris Nagle
produced by Quando Quango & Donald Johnson
sleeve deaign by Alan David-Tu
FACTORY 1982
ア・サーティン・レシオのドナルド・ジョンソンがプロデュースに名を連ねているQQのファースト・マキシ・シングル。

QUANDO QUANGO/LOVE TEMPO(FBN 23)
A:Love Tempo
B:Love Tempo(Mix)
recorded Spring 1983 revolution Studios Cheadle Hulme
engineer-Stewart Pickering A Dojo-Be Music Production
sleeve-Alan David-Tu
made in Belgium
FACTORY BENELUX 1983
いまでは当時のQQの音楽紹介もレコードショップのクレジットでは「ガラージ古典でもあるラテン・エレクトロ"Love Tempo"。UKハウス草創期の大御所DJ Mike Pickeringも在籍したQuando Quangoのガラージ・クラシック。ガラージュ玄人派に人気のMark Kaminsがプロデュースする85年のクラシックでHouse Regendにも紹介されたB1 "Genius"を含む、Quando Quangoの'03年リイシュー版。カップリングもレアクラシックスとして人気の高い"Love Tempo - Mark Kamins Mix"と"Atom Rock - Mark Kamins Dub"Garage Classic好きは勿論のこと、UKアンダーグラウンド/Disco Dub好きの方も買い逃し厳禁!」となる。

QUANDO QUANGO LOVE TEMPO
http://www.youtube.com/watch?v=yuVh3Xof_1k

QUANDO QUANGO/ATOM ROCK(FAC102)
A:Atom Rock
B:Triangle
recorded at Revolution Cheadle Hulme 83/84
engineer Stewart Pickering A Dojo-Be Music Production
musicians:Gonnie Rietveld;synths,drum programes,vocals
Mike Pickering:sax,vocals Berry Johnson:bass guitar Simon Topping:percussion,trumpet Johnny Marr:guitar
artwork:Alan David-Tu
FACTORY 1984
この12インチシングルで特筆すべきは、イギリスのマンチェスター生まれのギタリスト、ジョニー・マーがクレジットされていることだ。彼は'82年のザ・スミス結成後、バンドの人気に伴い一躍有名になり多くのギタリストに影響を与えた。しかし人気絶頂の最中であった'87年にバンドを脱退し、その結果ザ・スミスは解散してしまう。'88年にザ・ザのギタリストとして、'89年にはニュー・オーダーのバーナード・サムナーと完成度の高いピュアなポップ・ミュージックを展開していた"エレクトロニック"を結成するなど、80年代のイギリスの音楽シーンを語るうえでは外せない存在だった。

QUANDO QUANGO/GENIUS(FAC 137)
A:Genius
B:Rebel
a mark kamins production
FACTORY 1985
プロデューサーMARK KAMINSが絡んだ初めての12インチシングル。

QUANDO QUANGO/PIGS + BATTLESHIPS(FACT 110)
side1:1.Genius 2.Go Exciting 3.Happy Boy 4.Rebel
side 2:1.This Feeling 2.S.T. 3.40 Dreams 4.Low Rider
recorded at Strawberry Studios Stockport England,December 1984
engineer Tim Oliver:mixed at Shakedown Studio New York,Februaly 1985,engineer Alan Meyerson:Ace Snip Job on Genius Ivan Ivan:This Feeling mixed at Genetic Studio England,engineer Paul 'Groucho' Smylik
musicians:Gonnie Rietveld(keyboards,vocals) Mike Pickering(sax,vocals) Berry Johnson(bass,rhythm guitar) Simon Topping(percussion,vocals)
also thanks to Derek Johnson Toaster Supremo
Vinni Reilly(guitar) Beverly McDonald(vocals) Andy Connell(keyboards) The A Team(trombone,trumpets)
sleeve design Alan David-Tu
goup photograph Kevin Cummins
A Mark Kamins Production
FACTORY 1985
いまではニューウェイブ・トロピカル・ダンス/ガラージ・クラシックスとしてカテゴライズされているが、クラブジャズ系のラテンダンス・ナンバーとしても古さを感じない作品である。なんといってもドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリー、スミスのジョニー・マー、スウィング・アウト・シスターズ(ex ACR)のAndy Connellなどのゲスト陣が豪華だ。プロデュースはMark Kaminsの下、クレジットされていなので明確ではないがNew OrderのBernard Sumnnerも担当しているらしい。

Hillegonda
http://www.myspace.com/hillegonda

ロックカルチャーからダンスカルチャー/ディスコ・カルチャーへの突然変異、そして80年代ニューヨークのパラダイス・ガレージとDJラリー・レヴァン

いまにして思えば80年代に入ると音楽シーンは世界規模で大きく地殻変動を起こし、その核はロックからダンスミュージックへ移行し、ロックの文脈はインダストリアル・ノイズやゴチックロマンスの病いへ、または息の根も絶え絶えになっているネオ・アコースティックなどの脳のドーパミンD2受容体やセロトニン受容体を遮断する精神安定剤に似たものしか生き延びることができなく、気がつくと世の中は急変し、ロックのそれとは正反対にドーパミンの分泌を高揚するかのようなディスコ/ダンス・カルチャーの時代へと変遷していて、シリアスでメランコリックな時代は終わりを告げ享楽的快楽主義の"常に何かが起こる華やかなパーティのような時代"が音連れ(訪れ)ていた。あの時に、生真面目なロックファンは時代に置き去りにされ取り残され、いまでもそのトラウマの残っている人は少なくないだろう。60年代に伝説的なロック・バンド、ヤードバーズの、そしてT Rexのマーク・ボランのマネージメントだったプロデューサーSimon Napier Bellは"I'm Coming to Take You to Lunch"という著書のなかで、『音楽ライターやロックファンは、ロックがあたかもダンス・ミュージックのライバルであるかのような捉え方をする。僕からしてみれば、むしろダンス・ミュージックこそが今まで危機や問題に直面した音楽業界を救い再活性化し、新たな利益を生み出す原動力になってきたと思うんだけどね。・・・ダンス・ミュージックはポップミュージック・ビジネスの半分を占めているもので、それは何も今に始まったことじゃない。ロックン・ロールだって言ってみればダンス・ミュージックだったわけだし、その意味で現在のロックだって本当はそうあるはずなんだ。・・・ダンス・ミュージックは道徳的でクリーンな生活というものを常に脅かす有害な存在なんだ…セックスや快楽主義、ドラッグ、そして責任からの逃避など、人生を楽しくそして魅力的にする全てのものを奨励しているんだからね。・・・だから、ダンス・ミュージックは、伝統的な文化を宗教的までに守ろうとするくだらない考え方を持っている連中にとっては、破壊分子的そのものといった存在になってしまうわけなのさ』と語っていた。

ディスコの語源はフランス語のdiscothèque(ディスコテーク、ディスコテック)でレコード置き場を意味するものからきたものだが、ディスコ(disco)、ディスコテーク(discothèque)は、客にダンスさせる飲食店の形態を持つ風俗営業店のことを言い、70年代のディスコはクラブDJのようなレコードに録音された数枚の曲をミックスしたりせず、単純に客を踊らせ場を盛り上げるためだけにレコードを繋いでいくだけのもので、DJがナイト・プレジャー=パーティーを司る役割を
担い、その場を盛り上げるためにレコードから乗りのいい曲を選曲し短い曲紹介や客へのアナウンスを交え、なによりもDJの選曲こそが重要であった。80年代に入ると現在のクラブ・カルチャー/ダンス・カルチャーの発生源であるニューヨークの黒人やヒスパニック系などのアーティスト、ファッション関係者の流行の先端にいたマイノリティなゲイ・シーンの社交場としてのメンバーズ・オンリーのディスコ"パラダイス・ガレージ"が登場する。



そこではディスコ、ロック、ヒップホップ、ラテン音楽、ソウル、ファンク、テクノ・ポップなどありとあらゆる音楽をDJイングし朝まで客を踊らせ、まるで夜ごと行われる都会の祝祭儀式のように人々を"ハレ"の世界へ誘導し、トランス状態にさせ、パラダイス・ガレージのDJラリー・レヴァンはいまもクラブカルチャーでは伝説となっているシャーマンDJのひとりだ。その後、90年代を前にしてディスコはダンスミュージックという音楽の差別化/細分化が起こりクラブとして派生してゆき衰退していく。そしてシンセサイザーを超えるサンプリングやMIDIなどの新時代の器材の登場により、過去の曲や音源の一部をソースとして引用、転用し、それらにコラージュが施され再構築して楽曲を創造するリミックス、サンプリング技法を駆使したDJがミュージシャンから音楽をパラサイト/横取りしてしまうDJカルチャー/クラブカルチャーの時代が80年代後半から90年代初頭にかけて確立される。

2008年05月21日

CASCADES 74

VINI REILLY
THE DURUTTI COLUMN
FACTORY RECORDS
FACTORY BENELUX
「ジャズ的なるもの」からブリティッシュ・ロックへの回顧 74

ヴィニ・ライリーの一人二重奏ともいえる深いディレイのかかった"Sketch For Summer"のサウンドを初めて聴いたとき、怪我をした少年の白い包帯が巻かれた細い指先を思った。それも母にかまってもらいたいがゆえの故意に自分の指先を傷つける少年の、危ういガーゼ質のような感性にも似たメランコリックな痛みと感情をともなってだった。
THE DURUTTI COLUMN/THE RETURN OF THE DURUTTI COLUMN(FACT 14)
80年代の中頃にロックを総括したあといまでも、ギターの音、それはギター・オーケストレーションのソニックユースであっても、パンクであっても、ジャズフージョンであっても、ギターノイズにはなぜか拒否反応が起こる。しかしこのヴィニ・ライリーのサウンドだけには、不思議と心が開かれるのだ。それはやはり彼の音楽には、原体験としてのポテンシャルなジャズが明らかに刷り込まれているからだろう。シンプルなメロディーとディレイのかかったミニマルなギターフレーズと、リズムボックスのキックするリズムだけの、サンドペーパーをジャケットに使用したファースト・アルバム「The Return of the Durutti Column」には、"存在そのものがなにかを傷つける"という彼のプロパガンダが仕組まれていて、静謐で優しさのなかにこそ、ほんとうは暴力的でラジカルな屈することのない強い意志が潜んでいるものなのだと思ったものである。そう、存在し続けるということは、ひとを傷つけてしまうことの連続なのだ。ちなみにドゥルッティ・コラムというのは、30年代のスペイン市民戦争のときの、共和国軍に参加して闘ったアナキスト"Buenaventura Durruti"や彼の率いた小隊の名前に由来しているそうだが。'77年にマンチェスターでノースブリーズというパンクバンドでギターを弾いていたヴィニ・ライリーは、パンクにある暴力的/破壊的意味に欺瞞を感じていた78年に、Factory Records創設者トニー・ウィルソンと巡り会い、マーティン・ハネットのアイデアによるリズムボックスとシンセの音にあわせてギターを爪弾き"Sketch for Summer"という曲が生まれた。ここにも"ジャズ的なるもの"が聴こえてくる。これこそが時代を超える"ジャズ的なるもの"と言える音楽なのだ。
ヴィニ・ライリーの、音楽創造のアイデアの背景には、"音楽の形式主義を支えながら、それらを発展させていき、聴く人々のためになる音楽を作る"ことにある。このことは音楽ジャンルを問わず21世紀音楽を創造するうえでは最も欠かせない最重要課題だろう。'53年マンチェスターで生まれたヴィニ・ライリーは、オハイオ州トレド出身の子供の頃には片眼は完全に失明し、左手は2台のベースとドラムのスライド奏法、超剛速球ソロの自由奔放な演奏でホロビッツをも恐れさせたという凄まじいテクニックを持つジャズピアニストのArt Tatum(1910-1956)や、1904年ニューヨーク生まれのピアニストで、"でぶっちょのウォーラー"と呼ばれた1900年代前半に活躍したFats Waller(本名はトーマス・ライト・ウォーラー)の音楽からインスピレーションを得て幼少の頃からピアノに興味を持ち、 10歳でギターを弾き始める。この話からも彼の音楽の原点はジャズピアノとフォークギターにあると言えるだろう。'79年にファーストアルバムを発表した後、ドラマー/パーカッションのBruce Mitchell(ブルース・ミッチェル)との共同作業でアルバム「LC」や室内楽的作品「Without Maecy」など多くの作品をリリースしていた。90年代に入るとボクは本格的にクラブミュージックに興味の対象が移り90年を最後に数枚の作品しか聴いていないが、当時は作品を作る度にゲスト・ミュージシャンやヴォーカリストを迎え、ハウスミュージックやカリプソ的なクラブ系の文脈にも侵入していた。こうしたことはすでに85年の「Without Mercy」でのエレクトロニック・リズムを導入した作品や「Guitar and Other Machine」、88年のオーティス・レディング、アニーレノックス、トレーシー・チャップマン、およびオペラスタージョーン・サザーランドからの声のサンプルを組み込んだアルバム「Vini Reilly」にも既にみられるが、なによりも"ギターでスケッチする男"と言われていたように、効果的ディレイによる空間的なサウンドスケープと、遠雷、小鳥の囀り民族音楽などの効果音、サンプリングによるソニックデザイン、素描こそがヴィニ・ライリーの音楽の魅力だったと思う。

THE DURUTTI COLUMN/THE RETURN OF THE DURUTTI COLUMN(FACT 14)
A:1.Skech for Summer 2.Requiem for a father 3.Katharine 4.Conduct
B:1.Beginning 2.Jazz 3.Sketch for winter 4.Collette 5.In 'D'
all tracks written by Vini Reilly
and produced by Martin Hannet
recorded at Cargo,Rochdale.
mixed at Strawbery,Stockport.
engineers,Chris Nagle and John Brierley.
thanks are also due to Pete Crooks,bass and toby,drums.Gammer for his melody and Rowbotham,Reid and Debord for the maketing concept.
published by Movement of 24th,January Music
FACTORY 1979
2000部限定でのサンド・ペーパーのジャケットのものと、色彩の魔術師と言われた20世紀フランスのパリを象徴する画家ラウル・デュフィの水彩画が配されたものを2枚持っているのは、当時よほどドゥルッティ・コラムが好きだった証だろう。サンド・ペーパーをジャケットに使ったもともとの発想は、勿論パリのダダイストでのマン・レイやマルセル・デュシャンの思想をお遊びで引用したものだろうが、深読みするなら資本主義社会における大量消費をスペクタクル(見せ物的)とみなし、サンドペーパーを使った本を出そうとし徹底的に批判する立場を表明したシチュエーショニズムのように"シチュエーショニスト(Situationist=シチュアショニスト)、トニー・ウィルスン"がファクトリーのオフィスで一枚一枚丁寧にノリでサンドペーパーを貼っていったのだとも考えられる。このシチュエーショニスト(状況主義)、ポストモダン的アイデア、"臨機応変(flex・i・bil・i・ty /flksbli)"こそが80年代当時も今もボクの変わらない創造の原点でもある。

Durutti Column - Sketch For Summer
http://www.youtube.com/watch?v=5bLlzGLH7wM

THE DURUTTI COLUMN/LC(FACT 44)
A:1.Sketch for Dawn I 2.Portrait for Frazer 3.Jaqueline 4.Messidor 5.Sketch for Dawn II
B:1.Never Known 2.Act Committed 3.Detail for Paul 4.Missing Boy 5.Sweet Cheat Gone
music written by Vini Reily
intrumentals & vocals Vini Reilly
parcussion Bruce Mitchell
paintings Jackie Williams
produced by Vini Reilly & Stew Pickering at Graveyard Studios.
FACTORY 1980
ドゥルティ・コラムの'81年のセカンド・アルバム。このアルバムからドラムスのブルース・ミッチェルが参加する。イアン・カーティスに捧げた"The Missing Boy"などが収録され、アルバムタイトルのLCは、"時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)"の原作者で有名なイギリスの小説家、評論家アンソニー・バージェス(Anthony Burgess)のローマに関するドキュメントの中の壁の落書き"Lotta Continua" から採用されたという。

THE DURUTTI COLUMN/DEUX TRIANGLES EP(FBN 10)
side one:1.Favourite Painting 2.Zinni
side two:1.Piece For 2.Out Of Tune Grand Piano
FACTORY BENELUX 1982

THE DURUTTI COLUMN/LIPS THAT WOULD KISS"FROM PRAYERS TO BROKEN STONE"(FAC BN2-005)
A:Lips That Would Kiss
B:Madeleine
ces deux chansons o nt ete enregistrees durant l'ete 1980 au studio cargo a rochdale et mixees a la meme epoque au strawberry studio a stockport(angleterre) /auter;vini reilly/producteur:martin hannett ingenteurs:john brierley et chris nagle/
FACTORY BENELUX 1980

THE DURUTTI COLUMN/I GET ALONG WITHOUT YOU VERY WELL(FAC 64)
A:I get Along Without You Very Well
written by Hoagy Carmichael, arrangement by Vini Rielly and Linsay Wilson.
AA:Prayer
written by Vini Rielly, Cor Anglais, Maunagh Fleming. produced by B-Music at Revolution Studios,Manchester. sleeve design Mark Farrow. printed by Garrod & Lofthouse,

THE DURUTTI COLUMN/WITHOUT MERCY(FACT 84)
face 1:Without Mercy
face 2:Without Mercy
Vini Reiilly(guitar,bass guitar,piano and dmx) Tim Kellett(trumpet) Caroline Lavelle(cello) Mervyn Fletcher(saxophone) Blaine Reininger(violin,viola) Maunagh Fleming(cor anglais,oboe) Bruce Mitchell(percussion,congas and dmx) Richard Henry(trombone)
arrangements by Vini Reilly,Anthony Wilson & The Durutti Column
written by Vini Reilly
produced by Anthony Wilson & Michael Johnson
recorded at Strawbery Studios,Stockport
mixed at Britannia Row,London
assisted by Tim Dewey & Nigel Beverley
cover;Trivaux Pond,1916/17 Henri Matisse(1869-1954)
reproduced by courtesy of the Trustees,the Tate Gallery,London
FACTORY 1984
ドゥルッティ・コラムの作品では、ファーストと「Without Mercy」がベストアルバムだと思っている。フランスの画家で野獣派(フォーヴィスム)のリーダ-的存在であったアンリ・マティス(Henri Matisse)の1917年の油彩画"Trivaux Pond"がジャケットに貼られたこのアルバムから、マチスが線の単純化、色彩の純化を追求したのと同じような音響の無駄な部分を削ぎ落とした静謐な室内楽とジャズ的なるものが聴こえてくる。マティスの絵画は最終的に切り絵に到達したというが、このアルバムでの音楽はそのマティスの"ジャズ"シリーズという切り絵の作品のなかのポリネシアのような音楽を想起させる。

THE DURUTTI COLUMN/SAY WHAT YOU MEAN MEAN WHAT YOU SAY(FAC 114)
side 1:1.Goddbye 2.The Room 3.A Little Mercy
side 2:1.Silence 2.E.E. 3.Hello
Published by the Movement of 24th January Publishing
Design by 8vo
FACTORY 1985

THE DURUTTI COLUMN/TOMORROW(FBN 51)
side 1:Tomorrow
side 2:1.Tomorrow(live in japan) 2.All That Love and Maths Can Do
FACTORY BENELUX 1985

THE DURUTTI COLUMN/CIRCUSES AND BREAD(FBN 36)
side 1:Pauline 2.Tomorrow 3.Dance II 4.Hilary 5.Street Fight 6.Royal Infirmary
side 2:1.Black Horses 2.Dance I 3.Blind Elevator 4.Girl-Osaka
all songs written arranged and produced by Vini Reilly.
design:8vo
FACTORY BENELUX 1986
60年代のザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズに始まり20数年も続いたイギリスにおけるブリティッシュ・インヴェイジョンという大きな物語り、ロックの最終的な決着は、個人的にはYレコードやファクトリー・レコードのニューウェイヴ・ダンス・ミュージックと、そしてドゥルティー・コラムやelレーベルのグリッターロックともいえるバロキスムがエピローグを飾ったと考えている。86年のこのアルバムからはelレーベルにも似た室内楽と植物的バロキスム世界、ジャズ的なるものが聴こえてくる。