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昨夜、十日戎に詣でた。往き帰りの吉兆をつけた笹を持った商売繁盛を願う群衆の人の波に押されながら、"あらゆる「娯楽」の原型は多かれ少なかれ宗教的な神事としての「芸能」にある"という民族学者の言葉を思い出し、なぜ自分がこうした大衆世界からもっとも遠いところにスタンスをとり、数十年間、いまではFinn Jazzやnu jazzなどといって、いつも海外の先端音楽だけを追い続けて自分に収穫のない種ばかり蒔き続けてきたのだろうかと考えていた。
幸か不幸かボクにとっての音楽への関わりは東芝レコードの青春歌手というのがそもそもの始まりだった。当時「新御三家」としてレコード会社もプロダクションもかなりの力を入れて売り出し、3枚目のシングル「俺には天使の君だった」は日活映画「星影の波止場」というタイトルで映画化され、主演扱いで役者としても出演するなど、その他「ミュージック・フェア」「ロッテ歌のアルバム」「ヤング720」などのテレヴィ出演も多く恵まれたデヴューだったのだが、2年後、どうも体質的にあの河原乞食のような見せ物、さらし者的、そして虚像で成立している芸能界の空気に馴染めなく造反して引退してしまうのだが(このあたりの詳細は工作舎からの単行本「ロックエンド」で)、その後の「ロックマガジン」を初めとする編集者や音楽評論家、レコード・プロデューサーとして、またjaz' room nu thingsの経営など、現在までの活動のすべてがそのトラウマの反動からの返答だったように思う。普段めったにテレヴィは観ないのだが、正月は付けっぱなしにしていたそのテレヴィから漫才師や歌手たち、いわゆる芸人と呼ばれるひとたちの俗っぽい見せ物、大道芸のような芸能の数々が流れていた。思えばこうした芸能から最も遠いところに立脚することで、自分のアイデンティティを確立することを求め続けていたのだろう。観客が存在して初めて成り立つのが芸能。鑑賞者がいてもいなくても成立しているものが芸術だなどというのも無理があり信じていないが、クラブジャズ、nu jazzといえども「演技者と見物人の関係は、基本的には商業的関係である」という図式は覆せないのだ。70、80年代に先端音楽だったロックもパンクも、テクノすらこのニッポンではすべてが芸能として生き存えている。さて、ジャパニーズDj、ミュージシャンによって盗用されたフェイクなnu jazzやクラブジャズももはや芸能の道を歩みはじめている(笑)・・・。"商売繁盛で笹持ってこい・・"か。トラウマを乗り越え、解放されるためにも、そろそろやるか!
Comment (1)
根拠の無い空虚な平等主義がイデオロギーとしてまかり通っている現在は、悪い意味で「音楽では無く人間」というものが重視されていると思います。
極論ですがどんだけかっこわるかろうが、アホらしかろうが「売れれば勝ち!」で、金を持っている人間のことなら容易く信じ、共感するのであれば、そうしないと損なのかもしれませんね。
投稿者: 平野隼也 | 2008年01月12日 03:18
日時: 2008年01月12日 03:18