かってクラブDJとは夜の都市の祭りを司るシャーマンみたいな存在だった
**共通の趣味・興味を持つ仲間が集まって形成された団体やその活動のことをクラブと呼ぶのだが、音楽の世界でのクラブの発祥は、ボクの若い頃の60年代後半での、赤坂、六本木、青山などに30人も入れば満員になる小さな箱のようなクラブがあって、ブラックライトに照らし出されたサイケデリックな蛍光色の絵が薄暗い空間に浮かびあがるなかで、ファンクやソウルなどにあわせて、芸能人やファッシション関係者、スノッブな人々が明け方までクールに踊っていたあの時代だろう。そうしたクラブ遊びの核には必ず音楽と踊りが一体となり、それが後に大きな箱のディスコへと変遷し、80年代後半にはいつの間にかダンスミュージック=クラブミュージックという図式が形成され、あのレイヴカルチャーへと傾れ込んでいくのだが、1990年代のバブル景気崩壊頃から大型のディスコがすたれ、そこから派生した音楽の志向の細分化が始まり比較的小規模な店舗を再びクラブと呼ぶようになった。90年代中期までのクラブはテクノ、トランス、ハウス、ダブ、ドラムンベースがクラブミュージックの主流だったが、90年代の後半になると、もはやそうしたダサい音楽に嫌気をさした感性の鋭いクラウドやDJたちがFuture Jazz、Abstract HipHopなどの、よりジャジーなグルーヴを持つ音楽への趣向を強めクラブジャズへと変遷していき、その流れが現在のnu jazzに派生して行ったというわけだ。だけど現在ではクラブジャズやnu jazzを先導しているのは、もはやDJではなくミュージシャンである。振り返ればこのニッポンにDJカルチャーやクラブシーンなんて、どこに存在していたのだろう。そんなものはどこにもなかった。いまでもDJが生き残れるとするなら、それはJAZZMAN GERALDやアンチ・エーリカイネンのような人並みはずれた蒐集癖を持つレコードコレクターかヴィニールジャンキーと呼ばれるレコードマニアでしか不可能だろう(そういう存在はDJというより必然的に自身のレーベルを持ち運営しているものだ)。90年代のDJはもっと存在感があり、音楽を勉強していたし、誰もが食事代を削ってでもレコードを買っていた蒐集マニアだった・・・。昨夜のクラブイヴェント「Jazz Into The Heaven」でDJプレイしていた彼らの選曲を聴いていて、そんなことずっと考えていた。DJ不在と、人間関係そのものが卑しく寒々しいこの時代に、オールでクラブイヴェントを展開するなんてもう、時代遅れなのかも・・・。クラブDJとは夜の都市の祭りを司るシャーマンみたいな存在だったのにな。
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JAZZ INTO THE HEAVEN vol.3
細川 玄 Nice Groove Cool Jazz Unit
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細川玄(tp) 清水玲(b) 沼直也(dr) 柴田敏弥(key) フランシスマヤ(vo)
この夜の細川玄のNice Groove Cool Jazz Unitは、彼のトランペット1管という構成がちょっと残念だった。清水玲のあのテンションが高く太いベースラインや細川玄の作曲したハードバップ、ラテンテイストのグルーヴに対応するにはやはりサックスと、できるならバリトンもフィーチャーして最低3管で演奏してほしかった。しかし若干24歳のキーボーディスト柴田敏弥のような存在が東京のジャズシーンに現れてきているんだな。彼らのような次世代ミュージシャンこそnu jazzや新しいコンセプションを持つハードバップを展開してくれたらカッコいいのにな。
NATIVE
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中村智由(As) 大久保健一(b) 山下佳孝(Ds) 杉丸太一(p)
スペシャル・ゲストとして登場したNATIVEの演奏はいつもよりも熱気があり、ダイナミックでもあった。ラストに細川玄のトランペットをフィーチャーした「プルシアン・ブルー」はハードバップのグルーヴを持っていて、やはりNATIVEの代表作として後世に残る名曲だなと再認識させられた。広告代理店に勤めているボクの知人よ。このブログを見ているのなら、ソロソロこの曲をTVのCF用に使ったらどうでしょうか。
Comment (1)
今ではDJの専門学校があるくらいですものね。
誰でも何でもできるというのも考えものです
投稿者: 匿名 | 2007年11月27日 13:34
日時: 2007年11月27日 13:34