STYLIN'
LIVE:Some Jazzy Bits/Tatsumi Tatsuya
27 October '07 at jaz' room nu things
辰巳哲也のジャズの本質はきっと昭和初期や大正生まれのトランペッターがジャズをやるように、「日本のジャズ、黎明期」のようなジャズとクラシックの狭間にあるものと言えるのじゃないだろうか
辰巳哲也と関わってもう6年も経過しているんだな。2枚のアルバムをプロデュースしてから、この2、3年、辰巳哲也の音楽に対して直接関わることなく、ただあれこれ助言だけをし、そのなかで彼が提示してきたnu jazzといわれるものには、どうもボク自身はスッキり受け止められなく、最近ではユッカ・エスコラとのセッションなどをオーガナイズするなど、彼の音楽をnu jazzの流れに組込もうとあれこれ戦略をたてたけれど、どうもうまく行かなかった。しかし、10月27日の「Stylin'」での打ち込みによるラップトップ・ジャズを聴いて彼の音楽の正体が初めて垣間みれたように思う。プロデューサーとしてボクはパーソネイジ・レコーディングスから2002年の「Aspect From Both Side 」、2003年の「Reflection and Integration」の2枚のアルバムを制作し、nu jazzの記号をニッポンでは誰よりも早く強引に彼のジャズに移植し、北欧のクラブシーンで絶賛されはしたが、いまとなっては、それは間違いだったように思う。彼の本質はきっと昭和初期や大正生まれのトランペッターがジャズをやるように、「日本のジャズ、黎明期」のようなジャズとクラシック(近代と現代音楽)の狭間にあるものと言えるのじゃないだろうか。彼はきっと蓄音機で75回転のジャズのレコードを聴くように古き良き時代の「ノスタルジア」と「ロマンチック」なサウンドスケープが好きなんだろう。あるいは横浜ランドマークタワーで展開していたビッグバンドでのウェストコースト・ジャズやスウィングジャズだろう。それがジャズトランペッター辰巳哲也のジャズの正体だと思う。当日の「Stylin'」での演奏を録音したCDRを聴き直したが、彼の書き下ろしによる数曲の新曲、それは打ち込みによるものではあるが、やはりノスタルジックなセピア色のnu jazzやラテンボッサ・グルーヴであり、そのなかでも4曲目にやったシベリウスのValse Tristeのワルツによるリアレンジが特に辰巳世界を象徴したものと言えるだろう。それと、最後にやったザヴィヌルのIn A Silent Wayの音響系的な構造を持ったジャズとクラシックの融合、リアレンジなどが彼の本領であり今後追求していく世界だろう。この日の佐藤真也のキーボードはクラシカルでノスタルジックなグルーヴの上を泳ぎ、辰巳哲也の曲をより映えたものに変容させていた。
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辰巳哲也(tp, program) 佐藤真也(key) DJ:Musica(Lounge Grooves)
来年の2月からは定例的にこの「Stylin'」を、東京で活動しているジャズミュージシャンやラウンジグルーヴのMusicaクンたちDJとオーガナイズしてくれる約束をしたが、きっとボクの手から離れた方がイキイキと彼本来のジャズを展開してくれるように思える。今回のイヴェントには女性ファンもみられ、CD「Reflection and Integration」も売れていたし、ニューアルバムがリリースされるだろう来年が楽しみだ。アルバムを創るに、一つ助言するなら、リッキー・チックからリリースされたKerkko Koskinenの「AGATHA」やシネマチック・オーケストラのように、ストリングスなども多用したクラシックとジャズ、現代音楽(音響系)などの融合による壮大な物語性のあるものにしたらどうだろうか。アレンジャー、コンポーザーとしての辰巳哲也をボクは高く評価し続けているのだから。
Comment (3)
27日のStylin'に来て頂いた皆様、ありがとうございました。個人的にも大変に楽しい時間を過ごすことができましたし、とっさの思いつきで書いたシベリウスのValse Tristeのリアレンジが好評だったのも嬉しかったです。
そして阿木さんへ
長きに渡り色々と支えて頂いているのに十分な結果を残せていないにもかかわらずこうしてご高配頂けることに本当に感謝しています。
『昭和初期や大正生まれのトランペッターがジャズをやっている「日本のジャズ、黎明期」のような、または蓄音機で75回転のレコードを聴くような「ノスタルジア」と古き良き時代の「ロマンチック」』
という表現で、もしかして30年代的ジャズみたいなことをイメージされる方がいらっしゃると困るので、少々補足させて下さい。個人的には音楽を聴き始めたのはクラシックであり、そこでの和声的な流れによる世界の構築みたいなものは今でも好きで、ジャズという音楽のなかでのそうした構成美みたいなもののひとつの回答が50年代のいわゆるウエストコーストジャズの中にあるように最近感じています。というか、いわゆるウエストコーストジャズのアレンジャーの多くがシェーンベルグなどの技法を理解した上で書いていることが歴史の流れの中できちんと確認できた(当事者の方々とメールで会話して確認できたので、これは私の思い込みではないです)ので、いわゆるジャンルの壁みたいなイメージを乗り越えられた部分はあります。もちろんいわゆる普通のジャズも並行して演奏するつもりではありますが、PCなどを含んだ音楽制作環境の中で、自分の経験、理解したさまざまな音楽についての情報をを咀嚼した上で自分の色を出せたら、と考えています。これは日本のいわゆるジャズのハコではできないだろうし、スタイルフリーであることが容認されるクラビッシュな空間があればこそできることだと思います。
今回得るところが大きかったので、今後しばらくはいわゆるカテゴリーというのを念頭に置いて音楽を書くということではなく、思いついたアイディアを素直にPCに落とす作業をしてみようと思います(どんなことをやってもジャズ的な要素は排除できないから、広義にジャズにはなると思います)。ジャズを聴くのは勿論ですが、10代の頃に聴いていた20世紀中期ころのいわゆる現代音楽(当時はただその音響のインパクトしか感じていなかったけど)を客観的、分析的に聴いてみようと思っています。nu-jazz的なもの、即ちヨーロッパという記号を考えた時に、この辺りの情報は絶対に落とせないというか、この辺りにある程度の理解が無いとあっちの連中には絶対に伍せないと感じるからです。それに自分に取ってはそうした世間の方がカテゴライズするようなジャンル分けは全く存在せず、、すべて同列に『音楽』として自分の中にあるからでもあります。
「感性」で音楽を評価するのは簡単だけど、音楽なりなんなりに対する知的バックボーンの無い「感性」と、知識があった上での「感性」ならば、後者の方が説得力であるとか、クリエイティブな持続性で上なのは明白なので、自分が音楽を創るときは常にそういう姿勢でありたいと思います。知識として得たものが自分の音楽の中で咀嚼されて出てくるまでには相応の時間がかかるという恨みはあるのですが、旧作の見直しも含めて、その時点で自分のなかでアップデイトされたものを出して行ければと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
投稿者: 辰巳哲也 | 2007年10月30日 10:40
日時: 2007年10月30日 10:40
Lounge Groovesのmusicaです。先日はありがとうございました。Stylin'では、ラウンジDJとして楽しませて頂きました。nu thingsは初めてでしたが、コンクリート打ちっぱなしのモダンな空間にアンティークの家具がマッチしており、とても心地良かったです。また機会があれば是非お伺いできればと思います。招待させて頂いた友人達も全員が満足されたようです。次回は、今回と違った空間の演出を提案させて頂ければと思います。
投稿者: musica | 2007年10月30日 15:32
日時: 2007年10月30日 15:32
辰巳クンへ
知性で音楽を理解しているということは、もはやその音楽は音楽ではなく、言語の世界だ。音楽はあくまでも感性や身体に直に訴えかけるもので、聴く者を感動させ、感じさせるものだ。理屈や頭で理解するものではない。現代音楽や多くの音響系の音楽がつまらないのは、そこだ。ミュージシャンが自分の音楽の意味を言葉で評論し、能書きやウンチクを述べ、聴く者を納得させようとすることほど、愚行なことはない。さて、キミは?
Musicaクンへ
気持ちいい空間を構築して下さって、ありがとう。どうぞ今後ともよろしくお願いします。
投稿者: 阿木 譲 | 2007年10月30日 21:55
日時: 2007年10月30日 21:55