WORDS AND SOUNDS
「WORDS AND SOUNDS」、まずは「言葉」。ここしばらくこうしたロック的/文学的な音楽やイヴェントを出来るだけ意識的に避けていたが、平野隼也がオーガナイズしているイヴェントもたまには覗いてやらなければと、昨夜nu thingsに顔を出した。言語コミュニケーションを目的とするこうした音楽は、感じるというよりも、音楽という手段によって聴く者の頭の中の意識を概念化し、ある種の抽象的世界を発生させ構築し、それを共有することによって目的を果たすのだろうが、そこで言葉が歌われ始めだすと、物語性のような情緒的なナニモノかが生まれ流れ出してくる。それがいまのボクには白々しく思える。自分の吐いた言葉が100%機能しキミとのコミュニケーションを円滑に押し進め、いつまでも嘘でないなら、ボクもロックを捨て去らなかっただろう。だけど言葉はボクを裏切り、ボクは言葉を裏切るのだ。言葉は音楽にとってほんとうに必要なものだろうか。ボクは言葉に嘘をつきたくないから、人を傷つけることを解ってはいても本音しか話さない。それでその人との関係が断たれても、構わない。いずれ破綻するような嘘っぽい関係なら立て前だけの言葉で長続きさせる必要もない。
もし音楽に言葉が必要なら、文学的な詩だけは御免だ。シュルリアリスムの自動筆記(オートマティスム)やダダイストのダーダー言語、ビート詩人のような唾を吐き捨てるように韻を含んだリズム言語であって欲しい。それは湿っているうちは残っているが、乾いたら跡形も無い。そんな詩が好きだ。(真央クン。東京に行くのなら絶対に出世しろよ。いつまでも吉祥寺などの中央沿線の安アパートに住んで、いつの間にか背中にギターを背負った売れないミュージシャンになり、好きな男ができたらそれで終わりなんて、ちょっと哀し過ぎるよ)。最低限音楽にあって欲しいことは広い意味を持つ概念作用だけであり、そこに聴く側の個人的な翻訳可能な隙間をあけておいて欲しいことだけである。音楽の本質はもはやこうしたロック的な言葉の世界にあるのではなく、言葉にならないもののなかにある。「作曲家は、世界の内的な本質を明らかにし、その最も深遠な英知を、理性では理解できない言語で紡ぎ出す。それはちょうど、催眠術にかかった人が、目覚めているときには覚えていないことについて口にすることに似ている」といったショーペンハウエルのように。それにしても言語や言葉の問題はやっかいなものだ。
そして次の「音響」。音楽的人間と文学的人間とは決して混ざり合えないし、コミュニケーションできないものだと、ボクは諦めている。音楽は感じることだけで充分である。そこに言葉はいらない。だけどインストゥルメンタルの音響だからと言って現代音楽やフリーミュージックにある即興や偶然性から生まれる抽象になにか道があるとも思わない。インテレクチュアルなエッグヘッドや思考回路で音楽は理解するものではない。それも言葉と同じように白々しい。
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SOULMARINE PRODUCTION
photo by Masaaki SUGIYA
音響であっても現在の音楽はデザインするごとくより構成主義的でスタイリッシュで、意識的でなくてはならないとボクは思っている。強いて音響というならラング(コード)とパロール(メッセージ)に分類し言語活動の総体をランガージュと命名したソシュールの言うように、暗号的メッセージのごとく概念と聴覚映像が表裏一体となったものかな。でも正直に言うけれど、いまのボクは音楽にはリズムこそが最も重要な要素だと思っているし、極論すればリズムだけの音楽でも構わない。だから音響系と呼ばれる90年代中期で終わった音楽では、いまでも支持できるのは唯一CARL CRAIG「Paris Live」(planet e PE65290-1)に聴こえるエレクトリック・ジャズ/ラップトップ・ジャズかも。ここでもカール・クレイグはバックにWendell Harrison(Clarinet、Sax & Guidance)、'Mad' Mike Banks(Key & Inst.)、Kelvin Sholar(Key & Super Vision)などのジャズミュージシャンを起用している。さて、音楽に意味はいらない。鳥肌立つほどに官能的で気持ちよく、瞬間的に感じさせてくれるものであって欲しい。
起き抜けにつけたワイドショウで布袋が町田を殴って、町田が被害届けを出したというニュースを偶然に見た。パンクスがJPOPギタリストに殴られて被害届けを出したということが可笑しくて笑ってしまった。芥川賞作家、町田康が布袋を殴って訴えられたというのが筋道じゃないのか? それならもっとカッコいいのに残念だなあ、と思った。彼ももう芸能ネタにされるような存在になってしまったのか。堕落したこれがいまのロックやパンクのリアルな笑い話なんだ。
Comment (2)
はじめてコメントします。
かっこいいお店ですね。動画も3回見ました。
むかし大阪に住んでいて、今は福岡に住んでいるの
でなかなかそちらへは行く機会はないのですが、
時間を作り絶対に行きたいと思っています。
追伸の町田康の話しは笑えました。
パンクってアナーキズムと捕らえてしまうのですが、
だけどパンクの人みんなが、ソレではなくはじめた
人がソレで、ほかの人はそんなの関係なく形式が
かっこよくってソレのようになったのだと思います。
町田康はソレのような人だと捕らえていました。
町田の本は好きですが・・・・
ラリー・レヴァンやケヴィン ・サンダーソン、
ホワン・アトキンスなどはアナーキズムを持った
人で、ジャンルや職業の違いでも既成の概念を
打ち破れる人やしつこいくらいの信念を持った人
がアナーキズムな人なんでしょうね〜、なんて
思います。
阿木さんがしようとしていることは正しいこととか
どんなことをしようとしているのかよくわかんない
けど、何者の介入を許さない発言と行動は僕たち
地方にいる人間にも伝わります。
信念や個人の感覚に基づきなにか新しいことをして
いる阿木さんは、アナーキズムを背負っている人
だと勝手に思っています。(いい意味で)
阿木さんが語る都市論も感服します。
ジャズビートの混沌は、日本の第三国外国人流入に
より変わりゆく都市のテーマ音楽のようです。
福岡にも機会があれば遠征してください。
あっ、阿木さんのDJはトータル的なものだから、
nu thingsでなければ再現不可能、意思が伝わらない
のかもしれませんね。
夏に時間作ってお店に遊びにいきます!!!
投稿者: ケイ | 2007年07月29日 05:54
日時: 2007年07月29日 05:54
ケイくん
コメントありがとう。
このニッポンで、なにか新しいこと自分の信じたことをやろうとすると(自分のことをアナーキストとは思っていないけれど)、いつも組織や大衆とは距離を取って置かないとなにひとつ動けなく、個人主義的にやらざるを得なくなっているだけです。それが正しいことなんて思っていないし、出来るなら多くの人の力を借りたい。まあお金と体力が続き、支持してくれる人が一人でもいてくれる限り自分の信じたことやり続けるよ。それが本音です。福岡と大阪はそれほど遠いところではないので、機会があったら会いましょう。
投稿者: 阿木 譲 | 2007年07月31日 03:19
日時: 2007年07月31日 03:19