JAZZ LIFE
ボクはいま御堂筋と長堀通が交差するところから近い部屋、市内のド真ん中に住んでいる。この界隈は銀杏並木とブランドショップ、残された昭和初期の建造物が立ち並ぶ市内では唯一都市開発整備の整ったモダンなところで、こうした生活臭のない都市の風景からはジャズが聴こえてくる。ロックやテクノは都市でも人口が超過密度的に増大しスラム/カオス化していくジャンク・メガロポリスに似合うだろうが、モダンな都市にはやはりジャズがふさわしい。とくに陽も落ちかけの夕暮れの、ショーウィンドウから漏れる明かりやイルミネーションや、買い物で行き交う人々の装いは華やいでいて粋だ。ジャズの正体は実はこんなところにあるものだろう。
先日、ちょっと高かったけれど25000yen以上もする洋書WILLAM CLAXTONの写真集「JAZZ LIFE」を買った。ここには「JAZZ SEEN」でみられたウェストコースト・ジャズのモダンな世界は少なく、ジャズミュージシャンたちの虚飾を剥ぎ取ったかのようなリアルなドキュメンタリー・タッチのジャズに生きた人々の生活のワンショットの数々が記録されている。
『1959年秋、32歳の写真家ウィリアム・クラクストンにドイツから1本の電話が入った。音楽プロデューサー兼ジャズ評論家で、「Jazz Pope」と呼ばれたヨアヒム・ベーレントからだった。38歳のベーレントは、「アメリカのジャズの本を出版するんだ。ジャズとはどんな人たちによって生み出されているのか、どこで発生するのか。ミュージシャンたちにも会って、アメリカにとって偉大な'芸術'であるジャズのすべてを記録するプロジェクトだ。ぜひ撮影をお願いしたい。僕は君がジャズを本当に理解し愛していると感じるし、君の写真には魂があると思う。」即答でイエスと答えたクラクストン。2人は早速翌年の初めから取材旅行を開始した。クラクストンが運転するシボレーのインパラで、ニューヨークを出発点に、ボストン、シカゴ、ラス・ベガス、ハリウッド、ジョージア、シカゴ、セントルイス・・・。ジャズを追いかけた旅は、およそ4ヶ月続いた。路上での即興ライブ、後に多くのプロを輩出したブラスバンドのパレード、教会に流れる音楽など、無名の演奏家や市井の人々から、才能を開花させ後世に名を残したチャーリー・パーカー、エラ・フィッツジェラルド、カウント・ベイシー、ビリー・ホリデイ、マイルス・デイビスなど数々のスーパースターたちとのフォト・セッションやライブハウスでの演奏、バックステージでの素顔を記録した。本書は、1961年にドイツのBurda出版より発行された「Jazzlife」を再編集し、多数の未発表作品及びクラクストンの手記を加えたものである。』(芸術広場/Artspotから抜粋)
写真集を見ていると、この時代のジャズと現在のジャズには大きな溝があることに気づくが、ジャズの発生、本質を考える上でとても参考になる書物だ。ニッポンのジャズには様々な誤解がいまでもまかり通っている。それは、いまでもニューヨークに確固たるジャズシーンがあると思いこんでいること、ジャズクラブ・ブルーノートがあのブルーノート・レコードに関係して経営されていると信じている人が多いということ、バークリー卒業のジャズミュージシャンといえば誰もがジャズのスキルを習得していると思い込んでいること、ジャズミュージシャンならみんなが50-60年代に発売されたブルーノートのレコードの全てを聴いていると思っていることなどなど、ジャズという音楽を知れば知るほど、ボクのなかにあったジャズに対するイメージやジャズミュージシャンへの信頼が崩れてきて、その欺瞞や嘘が分かるようになった。特に大阪は「どこがジャズやねん関西」と言いたいほどジャズシーンなどないし、有能なミュージシャンは多くが東京に移り住んでしまっているし、ジャズクラブは客の入りも悪くガラガラというのが現状だ(こうしたのはミュージシャンの責任が大だと気づいていないミュージシャンのなんと多いことか)。「JAZZ LIFE」にみられるジャズが最高にいい時代はもう戻らないだろう。でも、考えればニッポンでのジャズがピークだった華やかな時代なんてなかったよな。
NATIVEのリーダーでもあるソプラノ・サックス奏者の中村智由氏が次のようにブログで書いておられる。
「クラブジャズの定義の中で、時に伝統的なジャズの要素からかけはなれてしまう場合がある。クラブでの音楽は、やっぱり躍らせるという部分が最重要なポイントで、その部分でクラウドを満足させるには、リズムがたってないと厳しい。日本の多くのクラブジャズバンドのリズム楽器の音質感は、ジャズというよりは、ロック、ファンクに近いと思う。それは、聴き手が望んでいることなので、バンドの指向が、そうなっても仕方がない。海外では、ファイブコーナーズにしても、ニコラ・コンテにしても伝統的なジャズの質感を保ちつつ、既成概念にとらわれない新しいアプローチで、新世代に向けた音楽を発信している。この違いは、とても大きい。日本では、新しい音楽を作っているのは、大半、ジャズミュージシャンではない。ジャズミュージシャンが、今後、間口を広げて、多くの人に音楽を聴いてもらいたいと思うなら、新しい発想、考えの下に音楽に取り組んでいく必要があると思う。僕は、nativeで、やっぱりジャズにこだわっていきたい。それは、スイングとか、8ビートとか、リズムの形式の問題ではない。」と。
先日の「ON THE SPOT」には普段nu jazzだ、クラブジャズだと言っているクラウドたちの顔がなかった。大半以上がジャズ好きの、ECQやユッカ・エスコラ、NATIVE好きの音楽ファンたちだった。それはイコール、クラブ系ジャズを取り巻くすべての嘘っぽさを証明するにたりるだろう。ボクはあのイヴェント「ON THE SPOT」で、新しいコンセプションを希求する次世代の若いジャズファン(クラウドではない)が確実に増えてきていることを確信した。クラブ系ジャズのクラウドよ、そして、古い伝統的どジャズよ、さらば!だ。ジャズのベクトルはクラブジャズに向かい、クラブジャズのベクトルはジャズに向かう。しかしジャズミュージシャンは感性の問題、クラブジャズ・ミュージシャンは音楽スキルの問題があって、それを越えるにはいまでも大きな障害が横たわっている。
今週買った新譜
RICKY-TICK RECORDS
THE FIVE CORNERS QUINTET featuring Mark Murphy/remixed by Jori hulkkonen/DJ Mitsu the Beats/Thomas Kallio(RICKY-TICK RT014)
90年代でのリミックス盤といえば、オリジナルを超える素晴らしい作品が多く発売されていた。しかしこのEPにみられるように昨今では、クラブ用御用達のようにDJにターンテーブルに乗っけてもらい、クラブでかけて下さいよというために作られる場合が多い。ここでの4つ打ちのディスコ・ハウスのようなリミックスなどもはや作る必要などないんだ。時代を読み違えているよ。これならばFCQ以外のジャズミュージシャンによるリワーク、リアレンジされたBefore We Say goodbyeやTrading Eightsを聴いてみたいものなのだ。クラブカルチャーの終焉も近い。こんなEPなど買う必要なし。
TIMO LASSY/The Call/Sweet Spot(RT015)
もうすぐ発売されるティモのアルバムで数曲吹いてるからチェックしてくれよとユッカ・エスコラは言ってたな。1st「The Soul & Jazz of Timo Lassy」がこのepを追って発売されるが、ユッカは全体的にはスピリチュアルなジャズだと言ってた。サイドA「The Call」ではラテンテイストのモダンな味付けがされたTimo、Mikko、Jukkaの3管によるハードバップといってもいいだろう。それほどダイナミックで躍動感あるグルーヴを持つジャズを展開している。サイドB「Sweet Spot」はボッサ・グルーヴで的を得た演奏が聴ける。丸刈りにしてすっかり垢抜けたティモ・ラッシーがユッカに続いてこのニッポンでブレークするのは当然だろう。
http://www.myspace.com/timolassy
http://www.timolassy.com/
LTC(LUSSI/TUCCI/CIANCAGLINI)/Easy Does It+Menino Das Laranjas(RT016)
LTCはPietro Lussu(Piano)、Pietro Ciancaglini(Bass)、Lorenzo Tucci(Drums)からなるピアノトリオなのだが、ここにリッキー・チック・レーベルの本質/未来へのヴィジョンがみえている。こうした本格派ジャズをもはやクラブ系のDJたちが聴きそのDJリストに入っていて当然なのだが、残念だがそうはいかない。nu jazzやル・・・ジャズと謳っておきながら4つ打ちのドンドン・ハウス・ミュージックをかけている有名なDJ SやDJ Kなど、こいつらみんな偽者だよ。LTCのジャズにもラテンやサンバ風の味付けがされているが、このクールさが理解できるかな。これは次世代ジャズ・ファンのためのEPだな。
http://www.jazzitalia.net/recensioni/hikmet_eng.asp
http://www.ricky-tick.com/
いま発売されているスタジオ・ヴォイス「日本のグラフィック・デザイン再考」に、70年代後半から80年代中期にかけてボクがエディトリアルした「ロックマガジン」での、ブックデザインを"ばるぼら"氏が高く評価して取り上げてくださっている。(80年に工作舎から戸田ツトム、松田行正氏のエディトリアルによって刊行されたボクの単行本「rock-end」も写真入りで取り上げてくださっている)。この特集を読んでいると、あの頃、暗室に入ってひとりで写真などを紙焼きしたり、打ち上がってきた写植をカッターナイフで切りながらレイアウト用紙にペーパーボンドで貼付け1ページ1ページレイアウトしながら雑誌作りしていたことを思い出す。デザインに関することなどなにひとつ学んだこともなく、罫線すらきれいに引けなくて、すべてが手探りで、いまのようにMACでもあれば、もっとカッコいい雑誌が作れただろうにと、ただ当時の先端音楽から触発されたイメージや感性と、使命感のような衝動だけで作業していた。でもこうしていまボクのブックデザインを高く評価してくださったことは嬉しい限りである。近いうちに新しい雑誌のエディトリアル・ワークも始めようかなと考えていた矢先のことで、ありがとう。
Comment (2)
fabrizio Bosso見てきました。
浦安に行って須永さんのイベント見てきました。18時について、ちょうどニコラが回しはじめたところで、Jabberlop逃しちゃった。マイミクのまこっちゃんさんには申し訳なかったです。ニコラはOther Directionで来てるのと多分同じジャケット着て、60年代のユーロジャズとブルーノートを回していたように思います。先週の大阪での阿木譲さんのDJはブルーノート系の音にケルアックのポエトリー.リーディングを乗せてきたりと仕掛けが沢山あってそれが凄かったので、特に印象に残らず。
sunaga t experienceはschemaあたりを睨んだオーソドックスな3管バンドでしたが、ボントロ佐野さんのハーモニカは反則(もちろんいい意味で)。あれで全部持っていっちゃった。
次のDJプレイは最低。そういう音が好きなのは分かるけど、イベントのコンセプトやバンドの音楽の並びを考えたらあれはあり得ない。他人主宰のイベントなのだから、選曲DJとしてそのコンセプトに合ったものを揃えるのが本筋。DJとしての自己顕示欲が強過ぎる。次のバンドが始まった時、あまりに音圧が下がったので何か起こったのかと思っちゃった。
で、音圧が下がって見に行ったらメインアクトのNicola Conte jazz comboでした。まぁニコラが飾り物的にギター弾いてるけど、実質はほぼHi-Five Quintetでした。先週土曜日の自分のイベントの日記でも書いた気がするけど、やっぱり音楽の構造っていうのが重い。ソロにいっちゃったらもうほとんどなんでもありで、いわゆるクラブ的な記号みたいなのはプレイヤーは意識してないように見えたけど、やはり「バンドとしての強さ」みたいなのが窺えた。それともう一つ。多分エンジニアも連れてきてて、曲によって微妙にエフェクトをいじってた気がする。ファブリツィオの微妙なディレイのかかりり方とか曲によって明らかに違ってたもん。そういえば、エリック.トリュファズもいつもエンジニア連れててちゃんとメンバー紹介の時に紹介してたけど、こうしたところでの仕事の細かさが「クラブ的」な記号を作る大きな仕事をしてると思う。あと、特筆すべきはベーシスト。そもそもヨーロッパのベーシストには凄い人が大勢いるけど、この人も見事なピッチだった。ニコラのギターはプロのレベルではないし、本人も(バンドメンバーも)分かっててメロディとソロを弾いてるんだと思う。でもどの曲だったか、ピアノが内部奏法をやってるところにニコラのギターが入った時にちょっとJet Setな音がしてて面白かった。
これだったらシタールもやったらいいのに、ニコラ(笑)。
お目当てのファブリツィオはやはり素晴らしかった。見事なコントロールでした。ダイナミクスとかタンギングのメリハリとか勉強になりました。あのアタックの強烈さは彼の使ってるMonetteのラッパの拡がり具合にもあるのかな?
終わってから少しだけ話したけど、フラヴィオとの2tpのDVDに伺えるやんちゃなイメージとは全然違う非常に理知的な人でした。
それにしても、自分の前にいたカップルさんのケータイが曲間中に鳴った時には持ってるワイングラス投げそうになりましたね。こうしたいわゆるクラブ系のイベントに来る人は、全てではないと思うけど、万難を排して言うと音楽好きとは思えない人が多いような気がする。そういえば先週ユッカと一緒だったけど、あるバンドが彼の曲でソロパートになったら別の曲のコードチェンジを使い、アウトロも無視してた。でも聴いてる人の多くは喜んでたよね。私は曲をああいう風に壊されたユッカはとてもいやだったんじゃないかと思う。彼は「That's life」って軽く流してたけど。でもオーディエンスの大半(mixiの日記でも沢山あったよ)は良かったなんて言っててさ。何だそれ(笑)。音楽聴いてないじゃん(笑)。だからさ、その手の人達っていうのは生でファブリツィオやニコラを見られて良かったっていうだけなんだよね。こういう田舎者のパーティ.ピープルっていうのはこの手のイベントでは税金みたいなものだが、おかげでちょっと興醒めしちゃった。
ちょっと最後がグチっぽくなっちゃったけど、楽しいイベントでした。たまたまメインアクトの最中にちょっと不愉快な思いをしただけで、長丁場を感じさせない良いイベントでしたよ。
投稿者: TATSUMI Tetsuya | 2007年06月10日 03:19
日時: 2007年06月10日 03:19
>この時代のジャズと現在のジャズには大きな
溝がある
本当にそう思います。
投稿者: jazz | 2007年06月12日 14:09
日時: 2007年06月12日 14:09