ノスタルジアという記号は、21世紀の、この時代の音楽にとって大きなキーワードであるのには違いないが、ジャズを聴くにしても、ボクはできるだけこの居心地のいい甘酸っぱい世界だけにとどまらず、それらの前にかならずre=新たに、し直す、し替える、反、否定という意味を持つ記号を加え、あらたに再構築したものを投げ返すように努めている。この2、3年追い続けてきたnu jazzが昇華したものとして、いまは50年代ハードバップをなんとか新しいクラブジャズに再生しようと目論んでいて、決してジャズをノスタルジアで聴いているのではない。とは言ってもノスタルジアを毛嫌いしているわけではないが、"ジャズ的なるもの"という記号を具体的に下ろしていこうとすると、そこには、やはりどうしても、このノスタルジアという記号は避けて通れないのかも知れないジレンマもある。
さて、歌もののレコードは、普段あまり聴かないのだけれど、ベルナール・ビュフェのリトグラフがジャケットに使われたエラ・フィッツジェラルドの"ELLA FITZGERALD SINGS THE GEORGE AND IRA GERSHWIN SONG BOOK"のVol.4(VERVE MG V-4027)、vol.5(VERVE MG V-4028) の2枚を、中古レコードショップで見つけ1万円ちょっとで購入した。不幸な生涯を生きたエラが、"S Wanderful"や、"I Got Rhythm"などの曲で有名なジョージ・アンド・アイラ・ガーシュイン兄弟の20年代-30年代に作曲された歌を唄うというアルバム・コンセプトにもひかれたのだが、それ以上に第二次世界大戦の荒廃した時代を具現化し、"時代の証人画家"と賞賛され、鋭角的なフォルムと強靱な描線、モノトーンに近い色彩による独自の画風を築き上げたと言われるビュフェの絵に、より興味を持ったというほうが妥当だろう。
このアルバムでのビュフェの2枚のリトグラフは、単に安い三流ホテルの玄関と部屋のなかに置かれたベッドだけをモチーフにしたシンプルなものだが、素描のような荒っぽいタッチによって描かれた絵から現代に通じる"ジャズ的なる"音が聴こえている。この絵の持つ暗く陰鬱で寒々しい空気は、アルバムでのエラ・フィッツジェラルドの歌をよりドラマチックで物語性あるものに仕立て上げている。
またアルバムに針を落として、それ以上にネルソン・ドリル(ROUTE 66などのテレヴィ・テーマ、フランク・シナトラの曲アレンジで有名)のアレンジの巧妙さに感動した。50年代や60年代は、クラシックやジャズの音楽理論を踏まえた彼のようなアレンジャーが多くいたが、歌ものの音楽には、なによりもアレンジャーの力が大だというのを再認識させられた。先日なにげなくTVをみていたら椎名林檎の新しい楽曲が流れていたのだが、彼女の歌の全編に流れている正に"ジャズ的なるもの"というべき斉藤ネコのずば抜けたアレンジの才能には驚いた。JPOPもここまで来ているんだなあ、侮れないなと唖然とさせられた。彼のアレンジを聴いているうちに、なぜかあの三文オペラのベルトルト・ブレヒト/クルト・ワイルの"罪を犯さず正直に生きろと説教たれても おまんま食えなきゃ聞く耳持たねえ 清く正しく生きようと 精いっぱいもがいてみても 道徳の前にはまずメシだ 貧乏人には世間の分け前は回ってこねえ 生きるために必要なのは どんなに苦しみもがいても人間だってことをすっかり忘れちまうことさ 自分にだけは正直に生きろ、罪を犯さなきゃ生きられねえ"というマック・ザ・ナイフの一節を思い出した。斉藤ネコは、椎名林檎というヴォーカリストを一幕のジャズオペラ、戯曲のなかの主人公に仕立て、退廃的な世界をシアトリカルに演じさせていた。
jaz' room"nu things"でも自作の歌を唄うヴォーカリストのステージが多くあり、彼女たちの歌を聴いていて、いつも思うことだけれど、歌をやるなら、やはり彼のような音楽スキルと時代を読み取る鋭い感性を兼ね備えたアレンジャーを味方につけることの必要性を感じる。いまはもう、ただのアコギ一本の弾き語りで、歌を唄う時代ではない。それは、ジャズであれクラシックであれ、ジャンルを問わず、いまこそ音楽はなによりも有能なアレンジャーを必要としているのではないかと感じている。
Comment (1)
PCの上で様々に打込み、素材をカットアップして音楽を作り上げていく作業には、作曲と編曲の作業が表裏一体に存在している。それはクラ然るの作曲家が一台のピアノの上からフルオーケストラの作品を作るのと実は同じ作業だと思う。が、ジャズの場合、往々にして、音楽の構成的なことは各ミュージシャンに任せっぱなしになるケースがある。というかその行為が常識的に使われるようになったからジャズはどジャズと呼ばれるようになったのではないか。レベルの巧拙はさておき、カットアップやコラージュで作られる音楽にはアレンジメントが存在している。クラブを通過した、もしくはクラブというフィルターを通して評価されるジャズにはそれがあるような気がする。
阿木さんが求めているのはそこを理解している才能だと感じられます。
投稿者: 辰巳哲也 | 2007年04月11日 11:13
日時: 2007年04月11日 11:13